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クラウス・テンシュテット(1926/6/6 - 1998/1/11)、あるいは響きと怒り その1

 大作を構想中いき詰まり、さらっといけそうな題材をみっけたんで始めてみますが、あら、結局はトリスタンとイゾルデになっちまうかも。
 日本で初めて紹介されたディスクはベルリンフィルとのシューマン交響曲第三番(1978)、東ドイツから亡命の指揮者がアメリカでセンセーションを巻き起こした評判に続いて遅れた現れた新人とかカラヤンに後継者と目されたとか、独墺音楽の本流を行く、なんて惹句ですが本盤については伝わってくる実演での評判とのギャップが大きかった。ボストン響でのブラームス、ブルックナーでの大成功は長期にわたった音楽監督小澤征爾に対する聴衆や批評家のアンヴィヴァレントな感情もあったのではと現在ならば思う。しかし続くロンドンフィルとのマーラーチクルスはそれなりに評判を呼んでました。諸井誠さん、柴田南雄さん等、ロンドンフィルの起用を残念がる声も多かった。今となっては北ドイツ放送交響楽団やウィーンフィル、ベルリンフィルとの関係悪化等レコード会社の都合だけではなかった事が分かる。第一番(1977)に始まって、五と十番アダージョ(1978)、三、九(1979)、七(1980)、二(1981)、四(1982)と続きましたが、どうも当時のEMIの音作りの問題か(混濁)、今ひとつピンとこない状況で1984年ロンドンフィルと初来日、やはり実演の人であると一定の評判を取ったようです。
 でやはりこの人は只者ではない、とんでもない人だと評価が一変するきっかけは1983年録音の第六番でした。後年のライブと比較する向きもあるが当時これを初めて聴いた時の驚きを矮小化は出来ません。冒頭からこんな恐怖を感じさせる響きは… これまで同様のコンセプトで録られたはずのスタジオを超えて迫ってきました。強烈なテンポ設定とその変化、強弱、強調で美しさを通り越した痛切な響き。当然ながら圧巻は終楽章ですが、本当に聴いた事のないような大胆極まるテンポ変化! この後大評判になるライブ録音でもこの独自の解釈=テンポ設定は基本ほぼ変わらず、よく引き合いに出されたフルトヴェングラーほどは即興的というよりより作り上げてゆく、そうカルロス・クライバーと近い人だったのかも。(この項続く)


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