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e.e.カミングス アメリカン・ブリティッシュ・アート・センターで開かれた個展カタログより

単純な人々、存在しない人々は、存在しないもの、単純なものを好む。
「よい」とか「わるい」とかは単純なことである。相手が自分を爆撃する=「わるい」。自分が相手を爆撃する=「よい」。単純な人々は(ついでに言うと、そいつらがこの世界ってやつを動かしているんだ)このことを知っている(彼らは何でも知っている)が、複雑な人たち──なにかを感じる人たち──は非常に、非常に無知で、本当に何も知らない。
単純を知る人々にとって、無知ほど危険なものはない。なぜか?
それは何かを感じることは生き生きとしていることだからである。
「戦争」や「平和」は危険でもないし、生き生きとしているわけでもない。まったく違う。「平和」は科学の非効率である。「戦争」は非効率の科学である。そして、科学は知ることであり、知ることは測ることである。
無知な人たちは本当に教育されなければならない。すなわち、何かを感じることをやめるようにされなければならないし、すべてのものを知ったり、測ったりしはじめるように強制されなければならない。そうなったとき(そうなったときだけ)すべての単純な人々が文明と名づけている存在しないものを脅かさなくなる。
あなたと私にとってとても幸運なことに、文明化されていない太陽は「よい」にも「悪い」にも同じおうに神秘的に輝いている。太陽は芸術家である。
芸術とは神秘である。
神秘とは測ることのできないものである。
すべてのこどもと女性が男性が測ることができないものであるかぎり、芸術はすべての男性と女性とこどもの神秘なのである。一人の人間が芸術家であるかぎり、空や山や海や稲妻や蝶は測るころができないものである。芸術は自然の神秘である。測ることができるものは生き生きとは存在し得ない。そして本当でないものはみな神かけてくそくらえである……。
一言、ここに展示されている絵が「よい」でもなく、「わるい」でもなく、平和のようでもなく、戦争のようでもないことが私の複雑な希望である──(そうではなくて)生き生きとしていますように。

無職を救って下さい。