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「趣味で絵を描き続ける」ための、私たちの終わりなき闘争

こんばんは、だしのやです。この記事、だ〜〜〜〜〜いぶ前に下書きにしたままで、完全に存在を忘れていたのですが、たまたま見返して存在を思い出したので完成させるために書きました(

それはいいとして。タイトルにある「趣味で絵を描き続ける」こと、そんなに簡単じゃないよな〜って、絵描きの方であれば誰しも一度は考えると思います。特に、2021年4月現在はコロナ緊急事態宣言の真っ只中ですし、中々創作活動のためのゆとりを持たせてもらえないことに悩む方も多いと思います。

昇進しても、転職しても、結婚しても、介護中でも、引っ越ししても、育児中でも、起業しても、あなたは絵を描き続けられますか? …と聞かれて、自信を持って「はい!」と即答できる方は、正直もうプロのレベルと言っていいんじゃないかなと思います。それがそんなに簡単じゃないから、難しいんですよね…。

私は元々の本業領域は全くデザイン業とは別で、コミケ同人作家から転身して新規参入したクチなのですが、過去にこんな体験があります。
趣味で絵を描いていると、周囲の大人の皆様から、数々の素敵なお声がけを頂きました。

「そんな道楽に時間を使っているなら、もっと(職場や家庭に貢献できる)有意義なことをしろ!」

「そんな無駄なことしてないで、もっと仕事の勉強したら?w」

わぁ素敵!!!!

てめーの物差しで口出すなっていうかいちいち私の聖域に土足で踏み入るなよって感じですが。
※これがプロの職業として絵描きやデザイナーになると、突然そういう横槍が引っ込んだりするのですが、実に奇妙な話です。

それはともかく、趣味で絵を描く場合って、どうしても仕事ではない(=社会生活上の実利に繋がらない)活動であるために、周りの人を納得させる材料に欠きやすいので、その結果として、このようなライフステージ追随優先を求められるケースが多いんですよね…。

で、渋々それに応じないといけないが故に、絵を描くゆとりを持たせてもらえないという。今風にいうなら、不要不急の趣味より実利を優先しろ、みたいな要請とか強制力でしょうか。

確かに、(いくら現代において収益化のチャネルが多様化したとはいえ)まだまだ絵を描くのって正直大きな収益には繋がりにくいですし、ほぼ自己満足とうっすらとした共感獲得のために膨大な時間と労力を使う趣味なので、日々忙しく過ごしている人からすれば、「貴族的な時間の使い方しやがって」と思われるのも無理はない気もします。

ただ、じゃあ逆に「能率的で収益効率が良くて、組織や家庭に貢献できる行動や趣味だけで社会を埋め尽くせるのか?」って言われると、そうでもないわけで。むしろ、そうなるとストレスで窒息死する人が続出するでしょうし、そうならないために、全然効率的な生活とは反対のことをする「絵を描く」っていう趣味が世の中にあるんだと思うのです。

上でも書きましたが、絵を描く行為って、その人にとっての「アイデンティティーや心の均衡を保つための聖域」なんですよね。心身の健康維持のためのボディメンテナンスの一種が、そう言う形になって現出していると言うだけで。

なので、家計・事業上の戦略とか、組織や家庭における人間関係の調整とか、そういうのは絵を描くのとは本質的に全く別次元の話です。ただ単に、可処分時間の分配の問題を考えるときに、別ベクトルの話題が同じテーブルにたまたま上がっているに過ぎません。

その辺りをきちんと整理しないまま、周りの大人がとやかく言って絵描き個人の大事な時間を脅かすことは、なるべく避けて欲しいなぁというのが、私個人的な考えです。

とはいえ、現代社会は世界どこに行っても分別のある大人ばかりとは限りません。うるさい人に出くわすこともあります。であれば、そういったケースに直面した時に、絵描きである私たちは下記のような対抗策に出る必要があります。それは…

「私は何が何でも絵を描きたいんや!!!!!」と、しつこく絵を描き続けること

です。アホちゃうかと言われそうですが、分別のない方々はレベルを上げて物理で殴ってわからせる(※勿論、平和的に)しかありません(ღ ◠‿◠ ) ♫•*¨*•.¸¸♪”

ジョークっぽく見えるのですが、実はこれ、それなりに真面目な意味もあるんですよね。
結局、趣味の絵を続けるためには、身近な人々を唸らせる、あるいは納得させる態度や姿勢、熱量を明確に示し続けるしかないのですが、そのためには何よりも「作った作品の数と質」が証拠として必要になるわけで。

認知・知覚的にそうなのですが、人間は元々言語表現だけではすんなり理解が通らないことも多いです。受け手の理解を促進するためには、目で見てわかる手がかりやモノが必要となります。

なので、周りの大人に「私には絵を描く時間が必要なんだ!」と強く示すためには、口で主張するだけではなく、自分がそうしていることでイキイキしている様子を、見てわかる活動と作品の形に仕上げて、周りに示すことがものすごく重要なのです。
作品そのものの巧緻さではなく、「作品作りを通して、自分の心身がいかに潤っているか」を周囲に示すことが、私たちが趣味絵を描き続けるための聖域確保のために、何よりも大事になってきます。

(※ちなみに、私の場合は、会社員としての業務以外の時間を極力融通できるようにして、とにかくコミケに出展しまくり、好きな遊戯王やパズドラの同人誌だの趣味絵だの企画だのと、時間とお金をかけまくりアホちゃうかと言われるまでに白メタさんとか描き続けた結果、遂に周りが「あいつはどうしても絵を描きたいらしいから仕方ない」と折れました。で、その後デザイン業として開業するまで、周りもその熱意に押されてなんか色々融通してくれた…という経緯があります。これはこれで極端すぎるゴリ押し事例ですが…)

私個人的には、別段絵描きであるからといって、誰もがプロ(職業作家や技術者、あるいはディレクターやプロデューサー)になる必要は全くないと思っています。究極的に言えば、生計を立てる手段なんかどうでも良いわけですし、面白い作品を実現するための探求の方がもっと大事です。私も含め、職業人として絵描きのプロを選んだ方は、あくまで色んなコストとのすり合わせや偶然性でそうなっただけ、くらいのものだと思ってます。

ただ、絵描きが絵描きであり続けるためには、生計を立てるのとは別の軸として、「俺は俺のために、このスタンスで絵を描いているんだ!文句あるか!!」としつこく示して、周りの大人に言い続けるしかないのかなぁ、とは常々感じています。そうでないと、周りの環境はなるたけ都合の良いように時間を使わせようとしてくるわけですし…。

【「趣味で絵を描き続ける」ための、私たちの終わりなき闘争】と、この記事のタイトルには書きましたが、詰まるところ、絵描きの私たちのアイデンティティは絵を描くことによって保たれていて、そのための環境とか権利を勝ち取るためにも絵を描く行為が必要…と言う、表裏一体メビウスの輪無限ループ的な難題と向き合う度胸が、絵描きには求められるんだろうなと考えています。

なんかこういう書き方をするとめちゃくちゃ無理難題をふっかけられているようにも見えてきますが、要は「描く」こと、その気持ち一点だけが大事というお話なので、まずは「明日も仕事終わったらなんか描きたいなぁ」と思えるようなハートを大事にしたいですね。

以上、深夜の与太話でした。

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