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ラグビーとの付き合い①

 Twitterアカウントは趣味と政治的な主張は完全に分けてしまっているのだが、ここは少し趣味ついても書こうかなと思う。NOTEに書けるような趣味だとラグビーだろうか。

今年から始まったリーグワン、毎節1試合は現地で観戦し、基本的にはD1(ディビジョン1=1部)、D2(ディヴィジョン2=2部)の試合はテレビで全試合観戦している。

まずは私とラグビーとの思い出を備忘として。
私自身は競技者としてのラグビーは大学から社会人にかけての3年間程に過ぎない。ただ、観戦という点ではかなり古い。私の父親はラグビ経験者ではないが、子供の頃から冬の週末の我が家はラグビー中継が流れている家庭であった。

1980年代後半〜2000年代にかけては(今もそうだが)は学生ラグビーが非常に人気あり、中でも関東大学対抗戦グループに属する早稲田大学、明治大学、慶應大学は非常に人気が高く、その三大学を軸に関東大学リーグ戦グループの新興大学(大東文大学・関東学院大学)、関西の雄として、同志社大学、京都産業大学が絡んでいくという図式で、それぞれの大学の特徴的なプレースタイルのぶつかり合いが観客を魅了した。
中でも早明戦と言われる定期戦は毎年国立競技場を満員にし、1月15日に社会人リーグ(現在のリーグワンの前身の前身)の優勝チームと大学日本一の大学で行われる日本選手権は成人式の晴着で観戦する女性が多く訪れ、1月の風物詩になっていた。

一方社会人ラグビーはというと、人気では大学ラグビーに一歩譲っていたものの、実力的には当然ながら圧倒的に高かった。また、80年代前半には新日鐵釜石(釜石シーウェイブスの前身)、神戸製鋼(神戸コベルコスティーラーズの前身)がそれぞれ7連覇するなど通好みの固定ファンがついて、それなりの人気を持っていた。

国際的に見るとラグビーワールドカップの決勝トーナメント進出常連国のニュージーランド、オーストラリア、イングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランド、フランス8カ国とその他の国は試合をする事すらできない状況であった。因みに2019年のワールドカップ優勝国の南アフリカは70年代後半から90年代の前半まで当時南アが採っていたアパルトヘイト政策によって国際試合から排除されおり、幻の強豪国と言われていた。

まだJリーグが発足する前で、野球以外のスポーツではサッカーをも凌ぐ人気があり、前述の様に父が小中学生の時には別に大して好きでもなかった私も毎年我が家のテレビからラグビー中継が流れるに従って、好きになっていった。
ただ、私の住んでいた地域(東京の西の果て)ではラグビー部がある中学や高校は殆どなく、実際に私もラグビーボールに触れる事なく高校を卒業した。
私が入った大学は関東大学ラグビーリーグ戦グループの中堅で取り立てて強い学校では無かったが、クラブチーム(体育会ではない同好会レベル)に全国屈指の強豪クラブが存在しており、その監督は大学の体育の教授が務めていた。当然ながらその教授が担当する体育の授業はラグビーであり私はそこではじめてラグビーボールに触れ、ラグビーの面白さに惹かれていった。

大学生になり時間も金も高校生時代よりは多少余裕が出てきて、更には大学も社会人も学生は500円で観ることができた(試合によるが)こともあり、ラグビーを競技場で見る機会も飛躍的に増え、シーズンが始まると毎週の様に秩父宮ラグビー場で観戦する様になった。
今と違ってスマホはおろか携帯電話もまだない時代であったが、秩父宮に行くと誰か友人が居て、観戦が終わった後は友人達と新宿に繰り出すという週末を過ごしていた。

次回は私がそんな日常を過ごしていた時に世界のラグビー界で起きていた事に触れたい。

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