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どんな月🌕?

「相棒!これについてnoteを書いてくれ!」
久々にざちょーからの丸投げ。

月にもいろいろあるけど僕はどんな月なのか?って話。

とらえ方の問題もあるので答えとしては求められているものとは多少違ってくるかもしれないけれど「月そのもの」というのが一番妥当というか、僕の感じていることに近いのかもしれない。

外観に表れるものではなくて内面的な話だと思う。

月の形状を聞かれて申し訳ないことに正直まったくピンとこなかった。
たぶんこういうことだと思う。

満月や三日月や新月、上下弦の月という呼び方はあくまでも「地球から見た時の月」であって月そのものではない。月自体はいつも同じように地球の軌道をまわっているだけで形状が変化しているわけではないので。

地上から月を見ると満ち欠けがあるし大きさや色にも変化がある。昼間に天空に太陽と同居することだってある。でもそれは地球というものすごくピンポイントな位置から月という天体を観測した感想にすぎない。

それは身長172㎝の僕をアリが見た時にどう思うのか?象が見たらどう思うのか?というのと同じであってあくまでも他者からの見方だと思う。
それでも強いて言うなら「丸い月」という言い方になるのかな?

僕が月を形としてイメージする時は球形を思い浮かべる。
🌕(満月)→🌓(半月)→🌒(三日月)、みたいな感じで。
無くなっているんじゃなくて見えていないだけ。

月に限らずの話なんだけど、見えていない部分との関わり方ってかなり重要なポイントだと思っている。

この見えていない部分をどう想像して、そこにどう対応するか?
この準備ができているか否か?
つまりそれは次の時代にすぐに対応できるか否かという事にそのまま直結していると言ってしまっても過言ではないだろう。

次の時代って見えていないところからふとした拍子にニョキっと出てきているのに気づくものなので。

なので僕が思っているのは月がどう見えるのかではなくて、月としてどういうポジショニングをするかということ。らんさんが紹介してくれていた「自分(のポジション)を見失わない」っていうことにつながると思う。

以前のnoteにもそんなことを書いた。

「僕は月属性だからこれはできない」という話ではなくて、月としての本分も果たしながら、出来得る限り、それ以外のこともする。
これは自分のリソースをどう割り振りするのかという話にもつながる。

時々西野さんが話しされる中でマーケティングをしていくためにはまず絶対的な品質が確立されている必要があるということを言われる。

つまり「まず品質ありき」ということ。


人も同じことだと思う。

人の品質というとその人それぞれの属性(キャラクター)になると思う。
まずそれぞれの個性(オリジナリティ)を確固たるものにする。決してブレない本人の性格というか生き様というか信念みたいなもの。
まずそれありきだと思う。

そのうえで、それを決して失わずに多様性を受け入れていく。
個人の本来の属性をないがしろにしてしまうと、その人が持つ本来の品質(本質)が見えなくなってしまうから長続きしない。

良くも悪くも自分が自分であるための思想とか必要なライフスタイルとか根っこになるものを守り続けなきゃいけないと思う。

そのために自分の持つリソースの割り振りを考えていく必要があるしそのタイミングを見極めなきゃいけない。
人はそれぞれだから、そこにマニュアルなんて無い。


長くなってきた。。
最後にもう一つ以前に書いたnoteを引用する。

「宇宙兄弟」の話。
まだ月に行ったことがない新人宇宙飛行士の主人公を含む数名が海底での「仮想月面生活訓練」を通して文字通り月面生活を想定しながら必要なものを作っていく。

主人公の南波六太は精神的にも肉体的にも極限に追い詰められた環境の中で誰よりも月面での生活を想像した設備を作成しその実績が評価される。

「何を作るのか」「何をするのか」に人は走ってしまいがちだけど「何のためにそれをするのか」を貫くことが大事だという話。


結局「月がどう見えるか」ではなくて「月としてどう見せるか(どうあるのが本来の月の姿か)」ということだと思う。

僕は器用に立ち回れるタイプでもないからあれもこれもはできない。

リソースを割けないと思ったら一切割かないことも多い。
ただ、そうすることで必要な時に必要なだけリソースを割くことができるとも思ってるからこれからもそうやっていくんだろうと思う。



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