酒記

4月30日

元旦もGWも働く限界労働者の友人が酒呑みたいって言うので遅い時間から1軒だけ付き合う。

久しぶりに会ったので近況を聞いたら朝まで呑んだり異性のケツを追っかけたり過剰な労働でとにかく忙しいと言っていた。完全に躁鬱の躁だなと思った。

一粒の麦、水割り、梅干入りを何杯か煽って解散。

1軒で帰るとすんなり寝れるし翌朝もスッキリしている事に気がついた。このスタイルにしばらくハマってしまうかもしれないしそんな事すぐに忘れて朝方まで呑んでしまうかもしれない。酒呑みの主張はいつだって曖昧だ。


周りが日記ブームだったのもあり少し落ち着いた頃を見計らい便乗してこの酒記なるものを始めてみた。

ひと月続けてみたけど振り返る事ができて良かったり悪かったり。4月は17日飲酒していたのでなんとなく2日に1回は休肝できてるんじゃないかという結果も悪くない気がしてくるし呑み過ぎじゃない?と思ったりもする。

日記、クセづいてくるとそこまで面倒ってわけでもないので5月も気が向いたら更新していこうと思う。


4月29日

悪天候の中GWが始まった。日常を少しだけ彩る事を生業にしているので盆暮正月など含め世間の長期休暇はあまり歓迎しないタイプだ。でもみんな嬉しそうで良い。浮かれてる人を見るのは好きだ。

個人的にGWは超緩く仕事しながら日常と変わらない毎日を過ごす。取引先や営業からの電話が鳴らないのは良い事だ。

二足歩行を取り戻しつつ軽く業務を遂行していく。夕方からはPDCAモンスターに呼び出されていたので高円寺で飲酒。

なんとなく仕事の話をしながら野方屋でホッピーとジャワティ割を煽る。高円寺に来るとだいたい野方屋に行ってしまう。

野方屋の良いところ、酒が濃いこと喫煙可能なこと。もちろん串焼もうまいし実は生ビールもうまい

脱線しつつも色々な話しをしながら最終的にはスパチャで稼ごうと存分にスーパーアドバイザーっぷりを発揮し早々に帰路へ。

痛風の発作も治り時間も早かったので2軒目でも行くかと思ったが雨の強さとあまりの寒さに震えながら即帰宅。

湯船に浸かり身体を温め即就寝。夜中になんか寝言いってたよと妻に言われる。他人の寝言って面白いよね。


4月28日

前回の飲酒時、痛風の発作が出てしまい数日の片足生活を余儀なくされる。初日、二日目の痛みはなかなかなもので痛み止めをフリスクばりに飲む事になってしまう。

現代の医療を持ってしても痛風の発作というのは出てしまった以上はなす術も無く嵐が去るのを黙って待つしかできない。大事なのはなってから治すではなく、ならないように暮らす事。近代の医療は予防が大切なのだ。

発作は数日でピークを迎えそこからは軽症化していく。今日は軽症化の傾向が見えた。あまり好きではない月末作業を終え心地よい気候に呼ばれ数日ぶりにサウナへ。大変良かった。

足をなでながら大人しく眠りにつこうと思ったら遠方に引っ越した呑み仲間が近所に来てるという事で一時間一本勝負の酒席へ。

リハビリみたいなもんだし軽くなら良いだろう。痛風患者は万事この調子なので症状の割には周りから心配されない。身から出た錆とはこの事だ。

一時間一本勝負のはずが帰宅したらAM3:00だった。

こういうだらしのない人間から痛風になりそして死んでいく。

人は死にゆく生き物なのでそれでもかまわない。我慢の先にあるFIREなどクソくらえだ。心を燃やせ。今を生きろ。

GWは摂生に励もう。


4月25日

立川にできたGALERAという商業施設がアツい。ほんと個人的に。

デベロッパーが仕切ってるわけでもないので正式な商業施設とは言えないのかもしれないがストリートあがりで地域のベテランになった飲食店経営者達が音頭を取って若手経営者の運営する店舗も含め様々な業態の飲食店が集まった施設だ。


仕事柄、最近どこの店が良かったかと聞かれると私は決まってこの施設を推す。久しぶりにスタッフ達に誘われたこの日も見に行った方がいいと思い立川に集合した。


他の商業施設に比べここの何が良いかというとまずは空気感が上げられる。大手デベの仕切りではないからこそ可能なんだとは思うが賃料はテナント側で決めて良かったり営業時間が自由だったり、店舗を跨いで注文ができたりと名ばかりではないパブリックなスペースを提供できていてなによりその空気に真の自由を感じる事ができる。酒呑みの好物はいつだって自由だ。

また地域沿線でキチンと人気のあった実力店が集まっているところ。料理や企画のレベルも都心の施設とは一線を画す。自由だからこそ新たな挑戦もできるのだ。
厳しい条件に縛られ失敗に怯えて『置き』にいくしかない都心の施設ではこうはいかない。

なによりオーナー同士が信頼の翼で結ばれているので店舗同士のチームワークも良く施設に一歩踏み入れると全テナントのスタッフがいらっしゃいませと声をかけていて活気を後押ししているのも魅力の一つだ。


そんな施設内で鮨屋、居酒屋、タコス屋と駆け足でハシゴする。19時にはもう施設全体が満員御礼といった感じだった。街のパワーを全身に浴びて次のお店へ。


スタッフに誘われた酒席だったので結局は仕事の話しになり説教臭くなる前に帰路へ。


話は変わるが私は20代の頃から通風を患っている。初めて症状が出た時は川原でバーベキューをした翌日で、あれ?どっかで骨折したのか?と思った。

激痛と闘いながら近所の外科に出向き症状を伝えるとアッサリと通風ですね、内科に行って薬をもらってくださいと言われ苦いデビュー戦を終えた。

それから私は通風という病に向き合い、学び、生活態度を見直した。ぐうたら暮らしていた人間が一発で生活習慣を変えるほどの激痛だったからだ。

付き合っていった結果、尿酸値は落ち着いて症状が出る事も減り平穏な暮らしを送る事ができた。

それから10年近く経った。通風に影響する数値は完全にコントロールした。家族や周りも含め私が通風である事など忘れているようだ。実際に私は忘れていた。

本当に忘れていたので先週は身体の事なと顧みずに暴飲暴食を繰り返してしまったしこの日は鮨屋で光物から海老まで、2軒目では炙った干物に乾き物と通風の世界では完全にタブーとされている組み合わせに舌鼓を打った。

昼間、右足に少しの違和感を感じていたがやがて過ぎ去る小雨だと思っていた。

それは本当に愚かな私の間違いで帰る頃にはまともに歩く事が困難な程の痛みを抱えていた。


今日も酒を呑みに行く予定だったが先方の都合でバラしになっていたので助かったなと思った。

ビールや乾き物はほどほどにね。


4月22日

昼間、一週間分のダメージを引きづりながら事務作業を黙々と消化していた。今日は呑むのやめとこかと思っていた矢先にDMが届く。

ステーキ屋さんに行くメンバーに欠員が出たとの事で代打でお呼ばれした。先週も行ったばかりの店だが全く問題ない。美味い肉は今週も美味いから。メンバーも今週2.3回会ってる人間だけど問題ない。皆話したい事を話したい時にそれぞれに話すだけだから。

夜になり店に向かう。お腹が空いていたので良いスピードで前菜からステーキ、パスタ2種類、デザートまで駆け抜けてしまった。グラスワインを頼むとお任せで色々呑ませてくれる。それが全部美味しいなんて最高だ。このお店のおかげで最近またワインに興味を持てた気がする。


京急蒲田の駅前マンションが1億円する話しで泣いちゃった事を除けば今週で一番穏やかな酒席だった。早めに帰って寝ようと歩いたが近所の呑み屋に吸い込まれてしまう。帰りに通った繁華街がどこもギンギンで煽られたせいだろう。


そうして吸い込まれたお店ではたまたま後輩が呑んでいて、色々と仕事をやり遂げたらしく幸せそうに酔っていてとても良い感じだった。

この店も穏やかな時間が流れていて大きな事件が起きない夜も可愛いげがあって良いもんだと思う。

そろそろ会計して帰ろうかしらねとチェックのタイミングを伺っていたら普段この店には絶対に来ない仕事仲間の横綱とイケメンが店に入ってきた。僅かな記憶を頼りに私がここにいると踏んでやってきたそうだ。経営者の勘ってやつは鋭い。

これは長い夜になるぞ...と覚悟したがあちらも体力がゼロに近かったらしく早々に帰路へ。週末らしい夜の出会いだった。


帰宅後、私の体力も見事にゼロになっていて即就寝。土日は死体となって過ごそう。


今日の福島メインレース、武豊が馬券に絡まなければ超豪遊できるかもしれない。競馬では何かがおきてくれた方がおもしろい。頑張れアブレイズ、頑張れ菅原。


4月21日

仲間が近所で立て続けにお店をオープンする(した)のを回る忙しい1日。まぁ忙しいって言っても例によって気の合う仕事仲間と呑んだり食ったりするだけなので気楽に向かう。


1軒目はレセプション、いわゆる練習営業にお招き頂いたので遠慮なくガンガンとオーダーする。ビールとホッピーが美味い店だ。ビールとホッピーなんてどこで呑んでも変わらんだろと思う人ほど行ってみると良い気がする。それなりに大きいお店の初日なのに殆どストレスを感じる事なく運営できてしまう部分に会社のキャリアを感じる。かくあるべき。

名物の土鍋飯が絶品で茶碗3杯くらい食べてしまった。次の店の事なんて誰も考えてなかった。この仕事はこうじゃないと。

2軒目は隣駅に移動。こちらはゆるくオープンして1週間くらい経っているので既に安定感充分。大人数の来店にもさほどバタバタする事もなくこちらもメンバーの強さを改めて感じる。

2軒共に大将に御祝いを渡し無事に本日の目標達成。古今東西新規開店はめでたいのだ。

ただ、困った事にこちらでも締めに炊きたて土鍋飯が用意されており茶碗3杯分くらい食べる事になってしまった。なんならカレーも一口食べた。途中でケーキも食べてる。こんな暮らしを続けていたらほんとに50歳まで生きれないと思う。


過剰な糖質摂取で全員眠くなったのか早めに解散。

外に出ると大雨だった。夜は雨予報だと前日から言われていたが20人くらいいた居酒屋経営者は誰一人傘を持ってなかった。皆それぞれ自分のみを信じてる。


帰宅後、妻が旅行のプランを練ろうよ!と提案してきた。妻だけが行く旅行のプランだ。いつ行くのかどこに寄りたくて何がしたいのか、何も情報を知らされないまま地図を渡されたので適当に相槌を打つ。妻もまた自分のみを信じている。

何も決まらないまま就寝。


4月20日

曇天模様の空の下、つぼみのまま無職の中年になってしまった人間で集まりバーベキュー。

バーベキューにふさわしくない会話の連発で夜に居酒屋で集うのと変わらないやろという感じだが俺達は皆等しく明るい話題を持っていないので仕方ない。いつだって街の空気を汚してる。

夕方にはバーベキューを一通り終え、日常に戻る人間もいたが残ったメンバーで新橋に向かう事に。電車に乗り慣れていない人間はすぐそこの新橋に行くのに30分かかってしまう。

新橋につくと私の知り合いの店があるんですよ!と先輩が。向かったワインバルは開店前で店に訪ねても誰もいなかった。この会にピッタリの展開だ。


目についたもつ焼き屋で2軒目スタート。なんとなく焼酎ボトルをひっかけて解散。


のはずが数人にロックされ3軒目に行こうといういつもありがとう感謝の展開。せっかくだしニュー新橋ビルでも流しますかと一通り見てみる。

いかんともしがたい雰囲気のテナント達は台南で檳榔を売っていた街並みそのもので考えさせられるものがあった。ファッションヘルスとかも入っていたのには驚いた。めちゃくちゃ過ぎる。

ビル内でテキトーにお店をセレクト。全ての料理が美味しくない居酒屋で数杯呑んでお会計。

最後は家系ラーメンを食べようというならず者達を振り切りタクシーに飛び乗る。昼の12時から10時間呑んで締めの家系ラーメンは新卒の体力だから...


銭湯に寄って帰宅即爆睡。皆様お疲れ様でした。

4月19日

トウカイから死の商人がやってくるというので遊楽街に集う。

それぞれ思い思いの話しをしながら麦焼酎を呑む。気づいたら5時間くらい経っていたけど参加者全員それといって記憶に残るような会話は無かっただろう。いや、楽しかったんだけど。

上京してきた死の商人に会いたいのか当日夕方の声かけにも関わらず5.6人集まった。この人、人望があるなと一瞬思ったがそれぞれにツラい平日を過ごしており何かと理由をつけて呑みたかっただけなのかもしれない。

翌日の事や家庭の調和を考えずにはいられない中年達の解散は早い。自転車を取りに行った中年を置きざりにして解散。


帰宅したら妻に、早いなって言われ朝起きたら花粉症で泣いてんのか?って言われた。

孤独な中年は今日も昼間から集う。早くまとめて山に放り込んで欲しい。


4月18日

仕事の流れで呑みながら少し話ししましょうかという予定だったが先方の発熱でリスケに。状況が落ち着いたといえどまだまだコロナ特別委員会は追いかけてくる。

酒呑みって奴は卑しいもんで飲酒の予定が飛んでもじゃあ休もうか、というよりやっぱり飲酒したいなとなってしまう。

昔読んだ本によるともうその時点でアル中認定で次に待ってるのはアルコール依存症だと書いてあった。人の話を鵜呑みにしてはいけない。自分の道は自分で切り拓くしかないのだ。

先週から大衆的な焼鳥を食べたいなと思っていたので一人近所の焼鳥屋に。商売って言うのは近所付き合いも重要なのでこれも立派な仕事でありただの飲酒では無い。アル中では無くワーカホリックなんだと言い聞かせて焼鳥をつまみに焼酎を。

最中、Twitterでぼっち呑みとポストしていたからか友人から連絡が入る。高崎で呑んでるから今から来いとの事。行けないと返すのも芸が無いので私はもう終電終わったからと伝えたらタクシーで来いと叫んでいた。アル中はこれだからダメだと思った。

2軒目。ぼっち呑みついでに久々な店に。ここにゆっくり呑みに来たのは久しぶりだ。

店には同世代の既婚者女2人、その不倫相手男1人という面子がいて私は離れた席に座り白州ソーダで煎餅を齧りXJAPANさながらの破滅に向かっている話を聞いていた。

聞くに堪えない話しも多くて殆ど会話に参加する事はなくぼっち呑みを貫いた。酒量もほどほどに雨も上がったところで家路へ。

夜はまだまだ冷える。

帰りの道中、寒さのあまり立ちションリバブルしそうになったが逮捕も凍結もあるしとな思い留まる。できる男のリスク回避。

家に帰ったら妻がチョココロネみたいな感じで布団を巻いて寝てた。



4月15日

雨の立川へ。

立川には私達居酒屋のあんちゃん大勢が慕う兄貴分のような経営者がいる。

そんな先輩と初めて会ったのは随分前。出会った初日に100坪天高6mの平家を設計してる話しをしてくれてめちゃくちゃ笑った。

その日、その足で別の人がやっているレストランに行ってウェディングをやるようなこの店でも天高5mくらいですよ!と説得してその場で修正指示を入れていた。今では普通の天高の家が建っている。100坪の。

その先輩が超大箱居酒屋を作ったというので景気付けに駆け付ける。

コロナ以降、ネットニュースや経済誌では連日居酒屋大ピンチ!みたいな記事を見かけるが今年に入って居酒屋のオープンラッシュはコロナ前には無かったペース。

空き物件が出れば複数競合の申込が即入り出店したくても出店できない人が多いという状態が相も変わらず続いている。

郊外ターミナル駅に100席を越えるお店を作る先輩も例外ではなく確かな勝算があると言う。

実際、お店自体は料理、内装、オペレーション、サービス含めさすがの造りで初日の稼働とは思えない仕上がりだった。この運営力こそが根拠なのだ。

レセプションだから会計は不用との事だったがお気持ち含めて大将の白衣に皆で大金をねじ込んだ後、電車に乗り込み後輩の独立店舗に向かう。


2軒目、こちらもオープンしたばかり。若さ故の粗もあるが全員口を揃え20代でこんな店が作れるもんかね、という完成度。若手の活躍というのは劇薬で良くも悪くも色々と考えてしまう。

誕生日を迎えた先輩に花瓶で一気飲みしてもらい帰路へ。俺たちは何歳の誕生日まで一気飲みすれば良いんだろう。


解散後、近所の呑み屋に寄り締めの一杯。これが大失敗で別の先輩達とジェンダー論から始まり仕事論、時代の変化について朝まで生討論。

討論の内容や結果はともかく朝まで付き合ってくれる10歳以上先輩の器の大きさを感じ帰宅。私も後輩に誘われたら最後まで付き合おう。なるべく。



付き合いも長く仲は良いので気を使うわけではないが一日で先輩→後輩→先輩のサンドイッチになり自分の立場が次々と変わり最後の方に訳わからない立ち位置になってしまったのを反省しようと思い就寝。

今週は一日おきに休肝日を挟んだおかげもあり飲酒時にすこぶる調子の良さを発揮。必要以上の深酒になるという本末転倒週間だった。

二日酔いこそ無いものの体力はしっかりゼロ。こうして週末は休肝を余儀なくされる。

親父の小言と遠方で呑む酒は後で効く。


4月13日

仕事仲間と美味いステーキを食べに行く。ワインを呑みがら前菜からステーキ、締めにはパスタを2種類、グラッパも呑みデザートも食べる。何度も足を運んでしまう素晴らしいお店だ。

私の周りには競馬でも株でも他人の予想に便乗して勝った負けたを絶叫する輩が一定数いる。投資や勝負事は自分で予想してこそだと思う。勝負師としての矜持はないのかと。

素晴らしい料理に舌鼓を打ちながらギャン中馬券巧者のオーナーシェフに皐月賞のアドバイスを聞いてみる。結果から言うと私の本命予定だったキラーアビリティは消えてイクイノックスの追い切り評価を見返す事になる。本当に勝ちたいのなら誰の予想でも構わない。喰らいつけ。



素晴らしいレストランを後に歩きながらまだ解散には少し早いかと2軒目は軽く居酒屋へ。

今日のメンバーは幾度となく辛い仕事を乗り越えてきたいわば戦友だ。全国津々浦々、各地で何百回も共にお酒を呑んできた。

だからか2軒目まで行っても取り立てて話すような事があまりない。ある意味で家族のようだ。

家族でもある仲間に老後は皆で朝だけやってるラーメン屋をやろうと提案したら、いいね!俺はパンを焼く、私は惣菜を作る!と元気よく同調してくれた。ラーメンは誰が作るんだ。

最近、同業の若手から色々な相談を受けるが最終的には他社に同じ立場の友人を作ると良いと思うと伝えている。たいていの悩みは仲間と酒を煽っていれば笑い飛ばせる。



解散後、泣きの一杯という事で1人近所のバーへ向かう。その店に入ると馬券生活者の知人が恋人を連れて呑みに来ていた。

この恋人というのが私や私が属している界隈のnoteや Twitterをよく見ているようでyoheishiraishiさんの損しているツイート、どエンド君の知的なツイートなどが好きだと言っていた。

外の呑み屋でTwitterの話しになるとよくアカウント名を聞くこの2人は界隈外からけっこう人気があるんだなと感じる。毎日朝から知らんアカウント相手に大暴れしている全宅ツイのグルとは少し違うなと思った。


ほどほどの時間に帰宅。朝起きて妻におはようと声をかけたら深夜シャワー出しっぱなしの容疑をかけられていた。犯人は私しかいないのだが何とか身の潔白を証明したいと思う。

4月11日

こんなクソ拭く紙がロールされているような酒記など新卒や若者が読む事は無いとは思うがこれだけは伝えたい。

社会に放り込まれ20年近く経っても月曜日は憂鬱だ。残念な事に。なぜならどんなに長く働いていようが月曜日ってやつはそれなりに仕事があるものだから...

緩やかに処理していた仕事は終わり職場のベンチで茜色の夕日眺めてたら、普段あんまり呑まない街で酒が呑みたくなりました。

一緒に仕事していた先輩を車に乗せ無理矢理サウナまで連れ込む。風呂上がり、ふわふわのヘアースタイルおじさん2人でアフター飲酒。青年よ、月曜日こそ酒を呑め。

良さげなお店ほど日曜日や月曜日に休むもんで嗅覚を頼りに店を選ぶ。

1軒目はサクッと。
2軒目もサクッと。

できたばかりという2軒目に行った店がとても良くてまた行きたいと思った。仕事柄色々なお店に足を運ぶがリピートしようと思える店ってやつは実は少ない。

3軒目は少しだけ馴染みのあるお店へ。
私はこの街でほんの僅かだが暮らしていた事がある。

長く生きていて良い事の一つに各地域に知り合いがいるというのがある。焼酎を煽りながら、そういえばあいつ暇してないかねと後輩にメッセージを送ったらタイミングよく合流する事ができた。

年齢差のある後輩だけど共に過ごした時間は宝物。思い出話に今の話、バランスよく盛り上がる。

酔っ払いの見本市、最後は軽くスナックで歌って解散しましょうかと動いたが月曜日に馴染みの店はやっておらず変にチャレンジするくらいならカラオケボックスでも行きますかと向かう。

人間は3時間くらい呑むと移動の足取りがとても軽くなりそれに加えて財布の紐が馬鹿みたいに緩む。

カラオケボックスで部屋に通される際に受付がマイクカバーなるものを渡してくれた。マンボーなどが終わったとはいえ日本はまだまだコロナ禍で楽しみたいからこそ大切な備品だと思った。

いつも行くスナックの盆菓子を食べまくっているせいか、はたまた見た目のせいか卓上に置いたマイクカバーを梅風味の煎餅と空目する程度には酔っていた。

今見ると全然煎餅に見えない



最近よくカラオケ行くな...
夜はまだ冷える。短パンにサンダルは少し早いと心のメモに残してガスター10を飲んで寝た。

4月8日

めちゃくちゃ濃いウーロンハイとタン塩が食べたいという事でオールドスクールYAKINIKUの世界へ

メンバーは不動産泥棒を生業にする怪盗一味にプラス私の仕事のパートナー。

鮫洲運転免許試験場の新築っぷりを見るとまるでNASAみたいだよねって話をして鮫洲=ワシントンD.C.説を唱え爆笑していたが一晩経つと一体何が面白いのか...って感じだ。

黄金色に輝くウーロンハイの見た目はまるで真夏の麦茶。いや、角の水割りみたいなカラーで1、2杯呑んだあたりから全く記憶が無い。


2軒目の居酒屋でぴんくのえびせん(ベロに乗せるとしゅしゅわするやつ)を食べながら1人の怪盗はレインズを開き1人の怪盗は高速で電卓を弾いていた。老舗酒場でパートナーは買ったばかりのマンションを査定されていて早く売ろうと言われていた。


2軒とも老舗の店舗に行ったが2軒ともトイレをリフォームしていて協力金の恩恵を感じた。

帰宅後、カップヌードルシーフードを食べて妻に絡んだ後床で寝た。

4月7日

近頃は色々な事がどうでもよくなり過ぎてよくある厚揚げを煮たお通しだけで良くなってきた。こんなんでは流石に仕事にならないよなと思いながら行きつけの安居酒屋で約束している先輩を待つ。

10年近い付き合いの先輩で、普段から仲間内で呑んだり旅行に行ったりもするが定期的に2人で仕事に関する色々も話し合う仲だ。

この人が経営する会社は急成長というわけでもなくバイアウトを狙うでもなく日々コツコツと勝手に会社が大きくなっている。そしてなにより社員を守る。一見今どきの会社なのに肌感で老舗中小企業のような経営ができるというタイプ。

個人的には人の上に立つ人間ってこういう方が良いと思う。人に慕われる人間というやつだ。

最近借りた100坪のオフィスに絵を描ける人を探していて真の成功者はなぜアートを求めるのかと思った。

そんな話しをしながら芋焼酎を煽っていたが本題は4坪のタコ焼き屋に出資しよっかなという相談だった。その話を聞いた時、私は『勝手にしてくれ』と思った。この人が手を出して失敗するわけがない。株も事業も殆ど負け無しできてる天性の商人だ。4坪程度どうにでもなるだろう。


2軒目、先輩が惚れ込んでいるという立ち飲みタコ焼き屋に向かう。

この店では先輩の友人でSPを派遣する会社を経営している人を紹介してもらった。要人が全く来日しないので暇だと言っていた。なるほど、そういうのもあるのかと思った。

私も経営者のはしくれとして肩を並べてトークしなくてはと意気込み、最近歳を重ねてきて思うのですがうんことか漏らしそうになりますよねみたいな話しをした。膀胱ももちませんよねみたいな話しとか。

意気込んだ結果うんこみたいな話しをしてしまった。どう思われるかなんかもどうでも良い。話したい事を話したい時に話す、酔っ払いなんかもうそれで良い。


バチが当たったのか3軒目に向かうタクシーの中で猛烈な便意に襲われ会計を先輩に任せて一目散に3軒目のトイレに駆け込んだ。

3軒目では最近の目黒エンペラーの話し、イマジン東京の話をして盛り上がっていたが私がトイレに籠ったりしていたので早めにお開き。

神は便意に宿る。

4月6日

色々な事が重なり老後、工場で共に働く仲間達と軽作業をした一日。なんでも準備が大切だ。とにかく一度やってみる事。段取りこそが人生を彩る。

ところが蓋を開けてみると簡単な計算もできないし軽作業もろくにできない私。数を数えられない人間、簡単なプリントアウトすらできない人間もいた。

そんな私達にどんな未来があるのだろうと不安になりながら打ち上げで飲酒。


色々な人間が一つのテーブルを出たり入ったりしながら明るい時間から麦焼酎を煽った。

この焼酎メーカーといえば弊社で取引を始める際、渋いスーツに身を包んだ営業部長が挨拶にきてくれた事がある。

軽作業もろくにできない私に、社長はこの先どういった展望を描いておられるでしょうかみたいな質問をしてくれた。それに対して、はぁ...とか、まぁ...とかめちゃくちゃ適当に返事をしてしまったという思い出があり今も時々後悔している。軽作業ができなければ経営者気取りもできない。何ならできるのか。

大分、麦焼酎いいちこ。最高だ。

酒を呑みながら仕上がった経営者ほど死生観を語るというのがありますよねという話しをした。

その流れで仕上がってない私達も仕上がってないなりの死生観を語った。質の悪い冗談にしかならないと思ったが何度も爆笑してしまった。仕上がってないのに仕上がってる人のみに許される話題、死生観に関わらずウケる。


2軒目に移動しても何にもならない話を私達は繰り返す。明るいうちから焼酎を散々呑み明かした後、2軒目で呑むウイスキーの味は本当に格別で全く身体に入っていかない。

夜の22時。皆んなとにかく帰りたそうだった。1軒目が楽しかったからこそ2軒目は早く帰りたいのだ。今日もこうして1日が終わる。



3軒目、そう思っていたが先輩に呼ばれていたので泣きの一軒。解散後1人近所のバーに向かう。

到着した時、店内はピザーラパーティの最中だった。深夜のバーは持ち込み自由だったりする。

先輩が元グラビアアイドルと某アパレルの執行役員なんだよという綺麗な魔女2人(共に50歳)を紹介してくれた。

魔女2人は自分が選んだピザに玉ねぎが入ってる!とかマッシュルームが入ってるじゃん!と叫び露骨に機嫌が悪くなっていた。苦手な食材を勝手に避けたりはしないタイプの魔女。今までの人生色々許され過ぎだろと思った。

私が小さい子供じゃないんだから自分で避ければ...って言ったらかなり酷い空気になり物理的にも精神的にも距離が空いてしまった。1時間くらい同じ空間で呑んでいたが魔女の機嫌が良くなる事はなくフジロックの天気と同じだなと思った。一度変わると手がつけられない。

酔っ払って先輩の知人に会うものではないなという事で先輩に軽く謝り早々に帰宅した。


早く明日になってくれと思いながら眠りについた。

4月4日

春の雨の月曜日、桜は今年も雨でトドメを刺されて 少し前に続いたような暖かい日とは違い寒い日が続く。

週の始まり月曜日、一発目の仕事は会食。会食といえば聞こえは良いが船橋の居酒屋に1530集合だった。他の業種の人からしてみればあり得ないかもしれないが居酒屋事業をやっていればこんな事珍しくもなんともない。

と言いたいがさすがにそんなわけはない。

日中は普通に仕事があるのにコロナをきっかけに会食の時間はどんどん前倒しになってきているしエリアも限定されなくなってきた。コロナが産んだ大罪の一つだ。なんとか仕事をこなして千葉へ向かう。千葉か...



1軒目、新進気鋭の大衆酒場で社会保険料について話す。トマトが切れれば居酒屋ができるなんて金言があったが社保を払わなければ別荘が買える。そんな話をしながら2軒目へ。


2軒目、予約困難どころか生涯予約不可能みたいなシステムの火鍋屋に行く。お店の人の負担にならないよう、お酒は大ジョッキ推奨のお店だ。流行っているお店ほどお客さんの都合は考えない、これは千葉も共通のようだ。このスタイルには色々と意見があるけれど店側からすればある種おススメのスタイルみたいなものなので一貫していれば問題無いしむしろ心地よいと思う。吉◯工業出身の農家さんも合流した。


3軒目では立ち食い鮨をつまみながら農家さんの話を聞く。満天青空レストランを始め各メディアに出たので事業は大変好調だが密着取材で情熱を語ったりするやつや7つのルールを語る番組に出たいと言っていた。エンタメ出身の社長っぽくて良い。しかし取引先やスポンサーの件もあり出れるメディアには制限があるのかもという話。

試しにどんなルール設定にするのか聞いてみた。一つ目のルールは自分をキャラクターにした会社のTシャツを着る事と言っていたが取引先との忖度を守る事が一つ目のルールなのかもしれない。


4軒目、一級建築士がやっている居酒屋に行く。一級建築士であるオーナーは既にベロベロで建築士の仕事は儲からないと言っていたがその居酒屋での会計は4人で1700円だった。金稼ぎは難しい。


5軒目、一級建築士が予約してくれたスナックへ。『良いスナック』の定義は難しいが歌好きの人が歌う為に集うお店は『良いスナック』の一つなんだと思う。

この店もそんな感じで本日のホストが夏縛りでいきましょう!と声をかけて盛り上がったもののドリカムやミスチル、尾崎やB'zなど夏なんて一切関係の無い思い思いの曲を歌い繰り返せない夜を全力で楽しんでいた。

この店唯一の若いホステスさんがサザンの真夏の果実を完璧に歌い上げた時に横にいたクソやべー爺さんが大好き!大好き!って発狂していたのがとても印象的だった。どの街にも1人は存在する20年後の私だ。


最後は逃げるように総武線に飛び乗り命からがら帰京した。


本当に嘘みたいだがこれも立派な仕事なのだ。今日は火鍋のツケをはらう一日なりそうだ(尻が熱い)

4月1日

20代の若者2人と待ち合わせて九州料理(奄美大島)を出してくれる居酒屋に。甘い醤油で食べる刺身は肴にもってこいだ。と思って鰯の刺身を頼んだらお酢と生姜で食べてね、との事。それはそれで良い。

20代ど真ん中を生きるAに彼女ができたそうだ。誕生日の少し前に彼女ができて、誕生日プレゼントのセンスが悪くて別れたと言っていた。プレゼントは手作りのカップケーキだったそうだ。別れた理由はそれ以外にもあるのだろう。

Aはモテる。私の誕生日に何人かで呑んでいた時も頼んでもいないのにグラビアアイドルを連れていきますよ!と言って本当に連れてきてくれた事があった。

Aはグラビア含む3人の女性を連れてきたが1時間も呑まないうちに3人の女がAの奪い合いを始めて1人は泣きながら帰っていった。

Aから私への誕生日プレゼントは煙草だった。モテる男の世界ではプレゼントという概念が少しだけ違う。

Aは2軒目に行ったスナックで変態紳士クラブを歌ってキャーキャー言われていた。私が浜田省吾を歌ってもこうはならない。私の行きつけなのに。

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