ケータリング事業をやめる話


ケータリング事業を辞める事にしたので忘れないように色々と記しておこうと思う。


なぜ始めたのか


2010年あたりからSNSが発展する影で料理研究家とう曖昧なジャンルが昔より確立されてきていて、その人達がやるケータリングがけっこう流行っていた。

SNSなどで見かけるケータリングの世界を実際に覗いたのは知人の会社に出入り(遊びに行ってるだけ)していた時期だ。なんかしらの行事がある時に置いてあるケータリングがいつも似たようなラインナップで、業界的には親戚みたいなものだし興味本位でどこに発注してるのかと訪ねてみるとだいたい決まって出てくる有名料理研究家?や店?があり料金形態もなかなか儲かるやないかという設定だった。またそのクオリティにはあまり満足していないという話も聞いた。


この頃の私は複数小規模店舗を抱えてはいたものの更に出店する予算も人員も無く、人物金の三つが貯まるの待っていた時期でへ〜、店舗に投資するわけでもなく、正規雇用をするわけでもなく、リスクの少ない良い仕事ですなぁと思った。とはいえそのへんのリスクも無いなら次の展開としては悪くないですなぁとも考えた。


それ以来、普段なら参加しないようなパーティーなんかにも進んで参加してはケータリング料理を写真に収め、誰よりも食べ、アルバイトであろうサーブするスタッフから情報を集めるというような奇行に興じた。


ある程度集めた情報を整理すると結局は前述したような誰でも想像できるようなメリットやデメリットがあり店舗経営とは種類の違う大変さもあるなというのがわかった。ただ、改めて考えると私達にとって実はこれは最大の魅力なんじゃないかなというポイントを見つけた

『全ての数が決まっている事』

これが本当に魅力だった。何時に何名何組のゲストが来るのか、またゲストは何をどれくらい食べるかも不明だが料理飲物含め50品をゆうに越えるラインナップを品切れにならないように用意し毎日多くの人員で準備して基本的には『待つことしかできない』という極めて非効率的な商売をしている私達にとって全ての数が決まっているのが強烈に輝いて見えた。効率に憧れていたのだ。

まず先方の予算や人数が決まっている。これが決まっているだけで驚くほどに無駄が無くなる(予約制のちょっとした高級店なんかは当然これに近いんだけど大衆店はこうはいかない)

それだけで取組むには充分な魅力だったが決定打は海外ハイブランドが日本直営店みたいなのを出した時のパーティーケータリングだ。これが恐ろしく不味く貧相で時代遅れだった事。煌びやかな空間において料理は主役でないという事も肌で感じ(これは後に最大の敵になる)この時は店舗同様、利用してもらいさえすれば必ずリピートしてもらえる内容を作れるし必ずゲストの興味をひけると思いそこに勝機を見出した。ようするに競合をなめていた。

そして何よりやってみたかったというのが大きい。色々と理由はあるのだけど最終的に突き動かしたこのやってみたいという気持ちだろう。そういうのが大切だ。


すぐさま仲間の会社と協力して余ってる時間とスペース、残業してでも稼ぎたいスタッフをかき集めケータリング事業はスタートを切った。このリソースを活用できる感じもとても良かった。


事業開始


効率的である事がメリットだと書いたが事業の立ち上げというのはいつも非効率だ。

最初に仕事をくれたのは大手企業に勤める友人だった。横浜で行われる会議にちょっと良い弁当を届けてくれとの事で徹夜で弁当を作り燃費リッター3kmのチェロキーに100食の弁当とサービスのお茶を詰め込み届けた。ヘトヘトになりながら帰りの車中で遠方の配達とドリンクは必ず別料金をとる事にした。


弁当では無くたくさん予算を貰って現地で凝った料理を作ったりドリンクの提供をしたい!と願いやって来た仕事は大手電機メーカーが主催する部活の発表会みたいなやつだった。200名程度の来客が予想されあれだけ数が決まっていれば良い!と息を巻いてた私達は開始10分でソフトドリンクが足りなくなり近所のスーパーに車を走らせる事になる。食べ物に関して言えばキャリア史上最大量の廃棄を出し大量の生ゴミを持ち帰った。来客数が読めてもこちらの読みが甘ければ何の意味もない。打ち合わせ時にゲストの層を鵜呑みにせず深掘りする事、契約時に会場の廃棄に関しても確認する旨の項目が増えた。


お金持ちの個人的なパーティーで出張料理なんていうのもやった。開催場所は高級タワマン。会自体は大変満足してもらえリピートも確実だろうなんて話しして撤収していたが業者用EVが利用できなくなっており一般EVを利用した事で管理会社、警備員と大揉めして警察まで来る騒ぎなってしまった。22時前に終わったパーティーだったが帰宅できたのは朝方だった。搬入ルートは事前に現地管理人と共に確認する項目がついた。この件以外でもラグジュアリーな施設が多かったせいかシン•ブルーワーカーの私達は搬入撤収ではしょっちゅう揉めた。


ノウハウの正体ってヤツは『言われてみればそうだよね』みたいな事の積み重ねで、こいつを言語化したり仕組み化していく事で事業は強くなっていくんだと思う。賢い人達はやる前から色々予想して対策できたりするんだろうけど野良犬の私達はこれを肌で感じ繰り返す事でしか仕事を覚えていく術がないのだ。


そんなこんなであちこちぶつかりながりノウハウを積み上げていき一年経つ頃にはだいぶいっぱしの仕事ができるようになっていた。


回数を重ね自信をつけそれが売り込めるようになり仕事は増えて想定以上のリピーターも増えた。利益で専用の中古車を購入し駐車場も借りた。備品にも投資ができるようになり効率化に磨きをかけた。


成長期


2〜3年経つと上記の通り仕事は増え確かな手答えを感じる反面、本来余っていたリソースで処理できるとはずの事業が本業の重荷になってきた。


めちゃくちゃ利益の良い仕事だけに絞り一度立ち止まる事にした。無能なので走りながらは考えられない。落ち着いてこの先をどう展開していくか考える。


①商品をECとして契約ノウハウなどどセットにして他社に余ったリソース使いませんか?的なパッケージで販売するルート

②セントラルを作って生産に集中できる新規スタッフと手広く仕事を取りにいく営業を雇用してキチンと太っていくルート

③どっちかに特化してある程度の規模になったら企業に売却

パッと思いつくのはこんな感じだった。ただ①をするにしても②は必須だったのでどの辺りから投資していきますかねと検討し始めた頃にコロナウィルスが到来。

100名だの300名だのフェスだのイベントだのって行事は木っ端微塵に砕け散りもともとリスクを取りたがらないタイプの人間が多かったケータリング業界は一度業界ごと吹っ飛んだ(uberなどデリバリー関連への移動は早かった)



そんでもって最近


コロナウィルスが我々外食業や中食、内食業にもたらしたインパクトは強烈で周りがあたふたしているのを眺めつつ私達もあたふたしながら足下の本業を守った。

マジで本格的な投資に入る前で良かったなと最近でも思う。


コロナ禍も気づいたらもう2年経っていてゴーストレストラン、テイクアウトにEC、自販機なんかも充実していき中食業界は勢力を増している。


そんな中で自分達が今できる事、これからやらないといけない事の意識も変わっていて、個人的にはやっぱり外食の方を何とかしたいという想いが強くなったのもあって、新店舗も作ったりもして、


そういう色々含めてケータリングはもういいやってなったので先日駐車場の解約を申し出て車を処分する手続きをし始めた。


なんというか初めて戦略的に仕掛けて手応えを感じていた事業だったので二年間もやもやしながら割り切れなかったけど(固定費は車の維持費くらいだったので大した事ないけど)一度手仕舞いって事で仲間も賛成してくれた。でもどっかでまたやるかも。

最後に


ケータリングをやっていて一番面白いなと思っていた事は毎回毎回全てが違うという事。会場、内容、ゲストの層、予算感、その全てが特殊なケースが殆ど。


店舗はコンセプトを決めたらそれ中心に回していかないとやっていけないけどケータリングはそれが毎回違う。毎回頭を抱えてメニューを作って段取り組んでいて最初のうちは死ぬほど効率悪いなと思っていた。


今となってはあの企画1000本ノックみたいなのや大量生産する段取り力みたいなのが店舗運営に確実に活かされていて(コロナ禍初期のテイクアウトなんてこの経験がなければ絶対できなかった)それだけでも取り組んでみて良かったなと思う。


点と点を無理矢理線に繋げられる人間が強いって誰かが言っていたのはこういう事かもしれない。誰のセリフかわからないしそのへん酔っ払いの戯言かもしれないけど。


ほんとに少しだけだけどちゃんと儲けれたのとめちゃくちゃ大きな経験が得れたので勝ち逃げという事にして終わり。

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