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はじめに

日本の教会建築史は、自著にて下記のように書き記していますが、主に戦国時代の1549年(語呂合せ:イゴヨク伝わるキリスト教)にザビエルによってキリスト教が日本に伝わります。そして、約300年間の迫害の歴史を歩みます。この300年間の迫害を耐えてきた潜伏キリシタンが数多く潜んでいた地域が長崎県の五島列島などでした。時代や地域は異なりますが、キリスト教がローマ国教になるまでの約300年間を地下埋葬所であり地下礼拝所であったカタコンベで信仰を継承してきました。このことからも日本人の信仰の強さがわかります。徳川幕府時代から明治時代に入ると、多くの宣教師が来日し、教会堂が建築されます。長崎の五島列島では大工棟梁で仏教徒の鉄川与助が30程度の教会堂を建築しました。横浜などの港付近や外国人居留地などにも教会堂が建築されました。初めの頃は外国人建築家が設計することが多くありましたが、次第に日本人建築家も設計するようになります。

 日本のキリスト教は、1549年(天文18)に聖フランシスコ・ザビエルによりもたらされましたが、1587年(天正15)に豊臣秀吉の追放令や徳川家康による禁教令から1873年(明治6)に禁教の高札が撤去されるまでの300年間、迫害と弾圧に苦しんできました。
 禁教期の中、1859年(安政6)の開港により宣教師が来日し、再び宣教活動が始まりました。それから現在までの約150年間に、「主イエス・キリストと共に生きる喜び」が伝えられ、祈り(信仰)の場がつくられ、美しい教会堂が数多く建てられてきました。
 しかし、明治、大正、昭和、平成の時代は、決して平坦な道ではなく、1923年(大正12)の関東大震災、太平洋戦争など幾多の困難にあいながらも、そのたびに乗り越え、教会は現代に受け継がれています。聖書には、以下のような御言葉があります。

一つの川がある。その流れは神の都を喜ばせ、いと高き者の聖なるすまいを喜ばせる。
(詩篇第46篇6節)

 ある時代は、の勢いをもって流れても、ある時代は、小川の流れのように静かに流れることもありました。ある時代は、地下深くにその姿を隠して流れることもありました。しかし、一つの川の流れは絶えることがありませんでした。そればかりか、その流れのほとりに植えられた木は、時が来ると決まって実を結びました。主イエス・キリストの愛(アガペー)は、変わることがなく、豊かな恵みを注ぎ続けているのです。

鈴木元彦 著『東京の名教会さんぽ = 73 Most Beautiful Churches in Tokyo』
(エクスナレッジ, 2018.1


青砂ヶ浦教会
青砂ヶ浦教会

大工棟梁の建築家 鉄川与助

鉄川与助(1879-1976)
長崎県生まれ。高等小学校卒業後、ペルー神父設計の旧曽根教会の建設を手伝い、教会建築に魅了される。4代目棟梁をとして家業(鉄川組)を継ぎ、明治、大正、昭和と、97歳で亡くなるまでに数多くの教会堂を建築した。
作品:冷水教会、旧野首教会、青砂ヶ浦天主堂、楠原教会、佐賀教会、山田教会、今村教会、宮崎教会、大曽教会、旧大水教会、田平天主堂、江上天主堂、頭ヶ島天主堂、旧細石流教会、平蔵教会、手取教会、大牟田教会、紐差教会、八幡教会、戸畑教会、新田原教会、水俣教会、﨑津教会、小倉教会、水の浦教会ほか


日光真光教会
日光真光教会

立教学校校長の建築家 ガーディナー

ジェームズ・マクドナルド・ガーディナー(1857-1925)
アメリカ・ミズーリ州生まれ。
1880年、立教学校校長として来日するが、学校施設の不備を目の当たりにし、教育の傍ら建築の改善に尽力する。やがて設計活動に専念するようになり、学校、教会、個人住宅と幅広い建物を設計。
作品:日本聖公会日光真光教会、聖ヨハネ教会堂(明治村)、青山学院ガウチャー礼拝堂


ユニティ教会
出典:https://hk-gsd.amebaownd.com/posts/4490282/

20世紀を代表する建築家 フランク・ロイド・ライト

フランク・ロイド・ライト(1867-1959)
アメリカ・ウィスコンシン州生まれ。ル・コルビュジェ、ミース・ファン・デル・ローエとともに近代建築三大巨匠の一人。終始一貫して有機的建築の理想を追求し続け、生涯に400余件もの作品と400件以上のプロジェクトを実現している。
作品:ユニティ教会、ユニテリアン教会、ギリシア正教教会、ベス・ショーロム・シナゴーグほか


明治学院大学礼拝堂
明治学院大学礼拝堂

近江の信徒伝道者 ヴォーリズ

ウィリアムス・メレル・ヴォーリズ(1880-1964)
アメリカ・カンザス州生まれ。
1905年、英語教師として来日。1908年建築事務所を開業し、滋賀県八幡を拠点に活動。戦前の教会設計は約140棟。1941年、日本に帰化し、生涯を閉じるまで近江八幡に留まる。
作品:明治学院大学礼拝堂、日本基督教団麻布南部坂教会ほか


カトリック目黒教会
カトリック目黒教会

日本近代建築の父 レーモンド

アントニン・レーモンド(1888-1976)
ボヘミヤ(現チェコ)生まれ。1919年、フランク・ロイド・ライトの助手として、帝国ホテル建設のために来日。その後1973年に85歳で日本を去るまで、44年間を日本で活動。多くの日本人建築家を育てた。
作品:立教学院聖パウロ礼拝堂、カトリック目黒教会ほか


聖路加国際病院聖ルカ礼拝堂
聖路加国際病院聖ルカ礼拝堂

祈りの建築家 バーガミニー

J.V.W.バーガミニー(1888-1975年)
アメリカ・ニューヨーク生まれ。1926年頃、関東大震災の聖公会関係施設を復興するために来日、学校や教会の建物を設計する。戦時下体制に入ると、日本軍により捕えられ強制収容所で過ごす。戦後は米国に帰国し建築設計に携わる。
作品:聖路加国際病院聖ルカ礼拝堂、立教女学院聖マーガレット礼拝堂、日本聖公会東京諸聖徒教会ほか


世界平和記念聖堂
世界平和記念聖堂

最後まで現役 村野藤吾

村野藤吾(1891-1984)
佐賀県生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業後、渡邊節建築事務所を経て、村野建築事務所(1949年に村野・森建築事務所に改称)開設する。93歳で亡くなる前日まで現役の建築家。戦前戦後を通して幅広く多様な建築を数多く設計した日本を代表する建築家の一人。
作品:日本基督教団南大阪教会、世界平和記念聖堂、カトリック宝塚教会、ルーテル学院大学礼拝堂ほか


カトリック上野毛教会
カトリック上野毛教会

職人建築家 今井兼次

今井兼次(1895-1987)
東京生まれ。早稲田大学工学部建築学科卒業後、母校で長く教鞭をとる。日本のモダニズム建築の流れからは離れたところで独自の内面的な世界を築いた建築家。アントニ・ガウディ、ルドルフ・シュタイナーらを一早く日本に紹介している。かトリック信者。
作品:カトリック成城教会、カトリック上野毛教会、日本二十六聖人殉教記念館ほか


東京カテドラル聖マリア大聖堂
東京カテドラル聖マリア大聖堂

世界のタンゲ 丹下健三

丹下健三(1913-2005)
大阪生まれ。東京大学建築学科を卒業後、前川国男建築事務所を経て、母校で教鞭をとる。日本を代表する建築家を育てる傍ら、広島平和記念館、国立代々木競技場で国際的名声を決定的なものとした。カトリック信者。
作品:東京カテドラル聖マリア大聖堂ほか


日本基督教団茨木春日丘教会
日本基督教団茨木春日丘教会

建築界の鬼才 安藤忠雄

安藤忠雄(1941-)
大阪生まれ。独学で建築を学び、1969年に安藤忠雄建築研究所を設立。代表作に「住吉の長屋」(1976年)「光の教会」(日本基督教団茨木春日丘教会、1989年)などがある。1997年から東京大学教授、現在、名誉教授。
作品:21世紀キリスト教会ほか


おわりに

まだまだ教会建築を設計した建築家はおりますが、随時追筆しいきます。



【東京・銀座編】教会めぐり:カトリック築地教会、聖路加国際大学聖ルカ礼拝堂、日本基督教団銀座教会を紹介


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