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(使徒心情の一側面)

議員や他の者たちは、「このことがこれ以上民衆の間に広まらないように、今後あの名によってだれにも話すなと脅しておこう。」・・
ペトロとヨハネは答えた。「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」
ペテロとかにとっては、彼が見た、声を掛けられた、聞いた、共に歩いた、感じた、語られた、命じられた、雰囲気、命、ふるまい、出来事、挙止、奇跡、死、復活、載せられていないすべての言事をすべて述べ伝えてゆくことに、信仰、命、愛があったのだろう。そしてイエス伝説とでも言うべきものが端の端の国々まで述べ伝えられることが、・・
途中でどう懐疑が差し込んだとかは分からないけど、〈それでも私が見たものは真実だったのです〉と。(記憶に基づいて、いくらでも自由にこの場や、この人々にはこう言う、というのが自ずから)
(あと(ペテロが)イエスの名を使って生まれつきの足の不自由なものを治す、という使徒言行録の記述もあるけど、そこの辺の力がどう絡んでるのかはよく分からない。)

わ〜い!😄