ダビデの詩

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(メモ2024)

4/27 (ステュアート・シム)歴史という概念に終わりがあることは明らかだとしても、歴史が終わることはない、私利私欲に駆られたイデオローグが終焉を宣言したとしても、歴史が終わりを迎えることなどはありえないというデリダの指摘は正しい。 共産主義の支配が終わった後(ロシアの場合、その期間は七〇年を超えた)、旧ソ連内であれほど急速に資本主義が復活した経緯について考えてみればよい。まるで、資本主義という亡霊がきちんと悪魔祓いされていなかったかのようだ。 4/27 Qioさんまた進

    • (シュタイナー) 人生は善と悪、美と醜などの間を行き来しています。人生は矛盾を孕んでいます。しかし、私たちがどちらかに立ちどまらないでいるときにのみ、霊的であることの意味が分かるのです。 そのときの私たちは、矛盾にぶつかるのではなく、矛盾こそが人生であることを理解します。

      • 書き集め

        ことごとく失敗するような人が 讃美せよ 讃美せよ 讃美せよ に命が おぉ、の合図 (なんてことのない)苦境は免罪符(という) 匠彩 僕に抱くそのシンボルは ピエロとの近似 なぜ涙を流すのかい?の美しさ 君よ、そんなことを言ってはならない 生きた遺影のような わたしたちの 夜 能面から puttoにも比していたはずなのに ねぇ? ことばが 僕に 僕に ちかづき 共犯/範 死に死に死に死にしにしにしにし・・・.... 外としてと人としての二重性が   わ

        • 「死者と菩薩の倫理学」末木文美士

          田辺がキリスト教と仏教との間を揺れ動いたのに対して、西田は強引に同一化へと突き進む。たしかにすべての宗教が統合されるとすれば、すばらしいことには違いない。しかし、それは到底果たし得ない夢でしかないのではないか。超越は、どこまでも場所的なものを超えて超越する。他方、場所はいかなる超越も許さずに包み込もうとする。両者はたやすくは「同一」にならない。それは、いみじくもマリオンとデリダにおける贈与とコーラの論争と重なる [Derrida and Marion, 1999.] [冥顕の

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        • (シュタイナー) 人生は善と悪、美と醜などの間を行き来しています。人生は矛盾を孕んでいます。しかし、私たちがどちらかに立ちどまらないでいるときにのみ、霊的であることの意味が分かるのです。 そのときの私たちは、矛盾にぶつかるのではなく、矛盾こそが人生であることを理解します。

        • 「死者と菩薩の倫理学」末木文美士

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        • 好きな詩 とか(2022年)
          75本
        • 好きな詩2024
          1本
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          33本
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          385本
        • 好きな絵
          265本
        • 年間のメモ
          3本

        記事

          此れで意易

          労働までは、仏教における心のはたらきを探る(スマナサーラ) 労働時、結局キリストに掴まえられる。 わたしが何かとか関係なしに愛されてる感あって、怖くなる。偏与的なものに関する不気味さが気持ち悪いとも思ってしまう。 もっともっと貴方の痛みをも!とかまた思ってた。 (共にいる時でなきゃ、ただの何でもなさの痛みでしかなく求めるわけないが) 体感の労働時間短かったので正も負も深められず若干の不完全燃焼感。また持ち越しだ。 こんなもんでいいか。

          此れで意易

          労働だ

          何で(おれの)人生はうまくいかないのだろう? ということを出勤時から労働時間2/3位求める。(今日は13時間半働いた) 惹起する肉体と出来事、反復して逃げられそうもない、取り囲まれている同じような出来事に対する同じような自動的反応と、実際に喰い込んで、〜モード(負)になってしまう程の感覚の強度、神経、規範意識、等々。 何かが根本的に間違ってるという悲しさと自分で自分を恥辱に思う少しの気持ち。 まず、出来事に対する反応は今の時点で防ぎようがない。その後の、戦闘態勢に入ったり、内

          「評伝オーロビンド」

          けれども一体なぜ、この絶対にして完全なブラフマンがわざわざ自分から、一見して不完全な相対的世界に身を投じなければならなかったのだろうか。そこでは、ブラフマンはばらばらになってて、虚構と苦痛と悪とを経験しなければならないというのに。オーロビンドはそれに答えて、ブラフマンが非完全性をすすんで受け入れたのは、「ひとえに歓びのためである」と書いている。アーナンダ、存在の本質的歓びが、ブラフマンの「永遠不変の本分」であり、「さまざまな歌からなる ハーモニー、甘美というよりはむしろ単調な

          「評伝オーロビンド」

          評定と 裁定は 厳しく その教会 伸るか反るかで落ちてゆき あぁ、神よ は注がれ 瞬間の創造 働きのうちに おぉ、わたしたちの魂たちよ その星々よ ますますわたしに意味が無くなりますように まだない まだない あなたとわたしが距離を埋める火 としての かみが注がれるもの 易死性の そこに見えるかい?教会 逃げるかのような言葉 飛び、離れ、去ってゆくかのような言葉 砂漠の美しさ 道ゆきのよう その階段 四門出遊から途絶え 引き取られる まで いま

          「ムンク伝」スー・プリドー 

          世界中の紛争が個々の人間の心の中に見出されるのであれば、神が存在するか否かはさほど重要な問題ではない。あらゆる実在する世界に現われるすべての現象の陰には、目には永遠に映ることのない原型にも似た「観念」が在るとする「ツァラトストラかく語りき』は、魂の絵画を描くのに自分の外側に目を向ける必要はないことを教えてくれた。ムンクは「個々の絵は個別性を達成しようと努める独立した存在(個々の絵を個人の芸術的才能の集合的な表現とする考えとは正反対)だと思う」と記す。

          「ムンク伝」スー・プリドー 

          「ジャコメッティ」矢内原伊作

          ジャコメッティ「二十歳のとき、一生彫刻をやるとは思わなかった。四十年も続けると思ったら、彫刻をする勇気はなかったろう。私は彫刻を習得して、ほかのことをするつもりだった。ともかく職業芸術家には嫌悪をもっていた。アトリエをもつよりもホテルの部屋の方がよかった。しかし結局ほかの彫刻家と同じになった。いや、同じではない、なぜなら私はいまでも首を試みつつあるからだ、理解するために」 「作家も画家も職業とは思えなかった。哲学は職業だ、これは怠惰の口実の職業だ。二十三歳のころ、哲学の本を

          「ジャコメッティ」矢内原伊作

          収穫のひー、か収穫されたひーなのか(労働のひ)

          力なき状態で通勤電車に乗って疲弊。 微妙にラッシュ前で、座れるだろうと当て込んでいるから、座れないと負荷高くなる感。 労働開始、まぁ普通に時間が過ぎていったが、徐々に徐々にキリストに気を取られてゆく。 子に父の資質がすべて示されている、だとか 子の他に父がなんであるかを知るものはいない、とか キリストの輝かしいイメージや情景を見て感じていた。 旧約のヤハウェよりキリストの方に神性が示されており、キリストを通して、神がなんたるものかを神が示そうとしている・・・ 旧約のヤハウ

          収穫のひー、か収穫されたひーなのか(労働のひ)

          感情は半分しか生きておらず基本的に像としてしか存在していないのです。この世での人間の感情は弱い半分しか生きていない感情です。それに対して宇宙感情はすべてに対する宇宙愛なのです。そういう宇宙感情、そういう太陽力に較べると人間感情は半分しか生きていない、その淡い残照にすぎないのです。

          感情は半分しか生きておらず基本的に像としてしか存在していないのです。この世での人間の感情は弱い半分しか生きていない感情です。それに対して宇宙感情はすべてに対する宇宙愛なのです。そういう宇宙感情、そういう太陽力に較べると人間感情は半分しか生きていない、その淡い残照にすぎないのです。

          「ジャコメッティ」矢内原伊作

          ジ「きみが持ってきてくれたあの掛け軸、あれはヨーロッパの家の壁にもよく合う。」コーヒーをのみながら 彫刻家が言う。「これに反してヨーロッパの今日の絵画の大部分は壁にかけられない。なぜなら、それは自然に反して人を驚かすために描かれているからだ。驚かす目的で描かれたものがわれわれの心を休ませるわけがない。」矢「そうですね、驚かすために作られたものは、またすぐに倦きられるでしょう」とぼくは答えたが、日本の掛け軸がョーロッパの住居に合うということは実はあまり信じられなかった。が、ジャ

          「ジャコメッティ」矢内原伊作

          「ジャコメッティ」矢内原伊作

          パリという街はわれわれ外国人にたいして不思議な魅力をもっている。花の都というような言葉から連想される華やかで優雅な、洗練された趣味といったものではない。そういった美しさもむろんあるにはあるが、それはしばしば小市民的スノビスムのあらわれであったり、観光用の宣伝であったりする。むしろパリは灰色の石の冷たい街。人々は各自の生活の中にたてこもり、貝が貝殻の中にとじ、貝殻が岩に固着するように、頑なに因習を守っている。 外面的な装いの華やかさも愛想のよさも、われわれを受けいれるかわりにわ

          「ジャコメッティ」矢内原伊作