此れで意易

労働までは、仏教における心のはたらきを探る(スマナサーラ)
労働時、結局キリストに掴まえられる。
わたしが何かとか関係なしに愛されてる感あって、怖くなる。偏与的なものに関する不気味さが気持ち悪いとも思ってしまう。
もっともっと貴方の痛みをも!とかまた思ってた。
(共にいる時でなきゃ、ただの何でもなさの痛みでしかなく求めるわけないが)

体感の労働時間短かったので正も負も深められず若干の不完全燃焼感。また持ち越しだ。
こんなもんでいいか。





わ〜い!😄