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創世記1章

神の言葉、聖書の始まりの書
創世記では、天と地という二つの世界が描かれている。
ただし、地は形がなく、闇があり、神の霊が水の表面を覆うとある。

これは、不思議な情景である。

聖書の語る世界の始まりは、進化論の言うような宇宙空間の原始地球とは異なる。

天があり、すでに「地」はあるのだが、水の上に小さな島もなく、水だけの世界であり、そこには太陽も月もないので漆黒の闇であり、ただ神の霊だけがある。

現代の私たちは、ビックバン理論上の宇宙の開闢という物語を刷り込まれていて、120億年(?)の宇宙形成と進化という歴史があるという前提で物事を考えている。これは、科学教科書によって刷り込まれた人造の思考である。

ゆえに、神の御言葉である、創世記1章を読む前に、それらの科学的信仰に基づく思想を一掃して、中立的に読まなければならない。

聖書における原初の世界とは、神が創造した天と水の世界があり、神の霊が水を覆っていた、というのが正しい描写である。

ここから導き出されることは、聖書は、この世の提示するナラティブ(物語)は、完全に異なるということである。

創世記はモーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)の中にあり、伝統的に著者はモーセである。

しかし、私たちと同じ人間であるモーセが、世界の開闢をリアルタイムで目撃できるわけはないのだから、モーセは実際に見たことではなく、霊的な真実を、霊感によって書いたとしか言えない。だからといって、それが不正確な描写ということではなく、むしろ、目で見るよりも、完全な描写が、創世記1章にあるのだ。

1:1 はじめに神は天と地とを創造された。 1:2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。

創世記1:1,2

(続く)



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