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野良猫ミウからの伝言(8)(付録、あとがき)

第八章 ミウからの伝言


つぎのあさ、ボクは、ワン太のご主人のこえで、めがさめたんだ。

「あー。今朝は冷えたな。今日も仕事に行くとするか。さてさてと。あれま?ワン太の犬小屋に猫がいるなあ。はあ、何してんだか。おいワン太、お前の寝床に猫が寝てるぞ!寝床がとられてるのに、何も文句言わないのか?お前も気がいいやつだなあ。だれに似たんだか。あれ?この猫、キャンプにいた猫でないかな?ああ、そうだ。えーと名前は何だったかな?キャンプの猫は・・・。うーん。思い出せないが、とにかくあの猫だ。今日、気仙沼にいったら先生に言ってやろう。先生も、みんなもずいぶんかわいがっていたから喜ぶにちがいねえから。おう。それじゃ行ってくるぞワン太と猫!」

ワン太のご主人はそういうと、はこ車であっというまにでかけていったんだ。

「ワン。【どうだ】」

「にやあ。【おはよう】」

「おう、おはよう。それであれが俺さまのご主人ってわけだ。」

「きのうはごはんをありがとう。ワン太さんの家でねちゃったよ。さむくなかったの?」

「俺さまは、こう見えてもシベリアン・ハスキー犬だ。だから、こんな寒さなんてどうってことない。だいたい、もっと寒いほうが俺さまとしては、嬉しいってわけだ。本当なら、そりでも引いていたい気分だ。」

「へーえ」

「それはともかく、これからは、お前は俺さまの相棒ってわけだからな。」

「あいぼう?」

「そうよ、ここに来たからには、働いてもらうってわけだ。いわば、ボランティアだな。」

「あ、ボランティア!」

「おう。ボランティアってのは、つまりだ・・」

「おしかけすけっとだよね!」

「?」

「たのまれていないのに、助けるんだよね!」

「まあ、そういうことなんだが・・・。」

「ボクはワン太さんの家を助けてあげるよ。」

「・・・」

「たとえば、よる、だれかがこのいえにきたら、ボクのみみで、おとをきゃっちしておしえてあげるよ!」

「ぼくら猫族のみみは、だれよりもこうせいのうだからね!」

「おう。そうか。じゃあ頼むとするか・・・」

「そのかわり、ボクは、まいにちワン太さんのいえでねるからね!」

「おう。家なんざ俺さまには必要ねえんだ。何しろ俺さまはシベリアン・ハスキー犬だからな!それに飯は食ってもいいぞ。」

「ありがとう。それじゃボクは、ここのボランティアってことだね。住田町のミウはボランティアなんだ!」

「まあ、そういうことだな!相棒!」

「にやあ!」

「ワンワン!」

「何か朝からうるさいわねえ。ニャアとかワンワンとか・・・。喧嘩でもしているのかしら?」

ワン太さんのいえのなかでは、こんなことをいっていたらしいと、あとでワン太のご主人からきいたよ。

それでさいごに、これからいうことが、ボク、住田町のミウからみんなへの伝言さ!
ボクは、住田町のテントでであった、にんげんたちとあそんで、ほんとうにたのしかったよ。

あのあついなつから、さむいふゆになるまで、みんな、まいにち、よくはたらいたね。そして、テントのこうえんでは、さっかーをしたり、やきゅうをしてあそんでいたね。あついひには、川でみずあびもしていたね。そしてほたるをけんぶつしたり、おまつりのはなびをみたり・・・。まいにち、いろんなにんげんがあつまっていて、おもしろかったんだ。

あさはやくから、おおごえでうたをうたうにんげんもいたし、よるおそく、ほしをみながら、ないているにんげんもいたんだ。

ボクはみんなみていたんだよ。せんせいも、まいにち、はなれた、かぞくにでんわしながら、すこし、ないていたこともしっているんだ。せんせいには、まだちいさなこどもがいるらしいんだ。でも、なかなかあえないんだって。

とおい、あめりかってところや、しんがぽーる、どいつからもにんげんがきたって、せんせいがいっていた。それから、しものせきってところからおおぜいの若いにんげんがきていたっけ。みんなボクのともだちになったんだ。みやざきからきた、たいちょうってにんげんも、おもしろかったな。

たいちょうはどんなきかいもなおしちゃうんだ。まいにち、いろんなにんげんがボクにごはんをくれたよ。いつも、きゃっとふーどってのをかってくれた、おんなのにんげんもいたんだ。どうもありがとう。

テントにいたにんげんのみんな。ボクはいま、住田町のワン太のいえでげんきにやっているよ。まいにち、ワン太のご主人とかぞくがボクにやさしくしてくれているんだ。だから、このさむいふゆでも、だいじょうぶなんだ。はるになったら、ボクはまたチャコちゃんにあいにいくんだ。そうしたら、たのしいかていをつくりたいとおもっているんだ。

それじゃあ、みなさん!

住田町のかわぞいのこうえんにきたら、ボクをさがしてみてほしいんだ。きっと、みんなとともだちになれるとおもうから。そして、ボクにねるところと、ごはんをくれた、イエスさま、ありがとう。ほんとうに、いのりは答えられるんだね。だから、テントのみんながいつも、いのっていた、いえすさまにボクもはやくあいたいとおもっているんだ。だから、ボクもまいにち、いのっているよ。

「かみさま、いえすさまのあいが、もっとよくわかるように、ボクにおしえてください」ってね。

「みやあ!【ばいばい!】」

【野良猫ミウからの伝言 了】

+ + +

付録

【住田町キャンプの猫発見される】 二〇一二年一月五日
災害支援団体の住田町ベースで、餌付けされていた元野良猫のミウが、無事生きていることがわかった。関係者によると、昨年一一月末でボランティアベースが気仙沼市に移転した以後、消息が絶たれていたが、近所のA氏宅の犬小屋で犬の餌を横取りして食べていることが目撃された。A氏宅の犬は遠慮深く、ミウが餌を食べていても、傍観しており、この冬の越冬が可能になった模様である。住田町ベースと荒木邸の距離は直線で500メートルほどだが、 ミウがどのようにして、移動したかは不明である。猫に詳しい専門家は、「猫の直感はするどいので、どこに関係者が住んでいるかを判断できたのではな いか」と説明している。二〇一二年の初頭にあって、一匹の野良猫が無事であったことは、気仙沼のボランティアスタッフも吉報であると喜ばれている。なお、今後とも、A氏宅の犬が餌を分け与えるかどうかが注目されている。【レポート・TK】

【住田町キャンプの猫発見される—続報】 二〇一二年一月七日
一昨日生存が確認された元野良猫のミウが、今日も無事であることが関係者への取材でわかった。 目撃者によると、ミウが夜にA氏宅の飼い犬ワン太【英語名CASH】の犬小屋で寝ていることが確認された。ワン太はシベリアン・ハスキー犬なので寒さにはめっぽう強いことが、かえってミウに有利に働いていると分析されている。 元野良猫のミウは、住田町キャンプで神の愛を体験し、おどろくほど人懐こくなっていたが、神の恩寵で犬小屋も与えられたことは、復興途上にある各被災地への力強いメッセージとなっている。 【レポート・TK】

登場【人・猫・犬】物

ミウ 
岩手県住田町に住んでいる、日本猫の野良猫【一歳】のオス。

せんせい  
関東から住田町に赴任したNGOボランティア団体のスタッフのリーダー。本職は牧師。震災後、単身赴任で被災地に派遣され、家族とは離れて暮らしている。

マサオ    
沖縄から住田町に赴任したNGOボランティア団体のスタッフ。いつも明るい青年。物語の中で婚約間近となる。

ケンカのクロ  
住田町野良猫協会の長老。若いときにカモシカと闘ったという伝説の猫。

シロ猫さん  
世田米小学校に住んでいる野良猫のメス。野良なのに非常に教養が高い。

チャコ     
二〇一一年三月一一日に気仙沼市で地震と津波を体験した、シャム猫のメス。震災後、飼い主と共に住田町の知人宅に避難する。ミウの恋人となる。

ワン太
住田町のシベリアンハスキー犬。ミウを助ける。元の名前はキャッシュ【現金】。

ワン太のご主人
住田町在住で、腕のよい大工。キャンプにボランティアとして参加。後にスタッフとなる。現在は気仙沼に復興支援のために通っている。ミウのことをみなに知らせる。

ミウの用語集

はこ車【自動車】
義捐またたび【義捐金】
海がおおきくなる【津波】

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あとがき

野良猫ミウからの伝言は、実話に基づき、猫の視点から、ボランティアたちと猫の交流を描いたものです。背景にあるのは、2011年3月11日の東日本大震災の被災地と、その支援活動に関わった人々です。

私は、震災当時、栃木県南部に生活していましたが、地震、津波に続く、福島第一原子力発電所の爆発事故の影響を懸念して、家族で大阪まで自主避難しました。当時、まだ2歳になる前の娘のことを想って、そのような決断をしたのです。そして、一か月後の4月11日に、私は、単身、大阪の教会が集めた支援物資を1トントラックに満載して、仙台に向かいました。

その後、サマリタンズパースという、アメリカのキリスト教災害支援団体のスタッフの一人となり、石巻から、家の「泥だし」という作業を始めました。それは、津波で水没したものの、家の形が残っている住居に堆積した、がれきや泥を除去するという仕事でした。

さらに、5月からは、岩手県住田町の好意により、ゲートボール場の敷地に、アメリカ軍の軍用テントを設置し、気仙沼市への支援活動を始めました。わたしは、アメリカ人スタッフの為の通訳兼コーディネーターとして、約五か月勤務しました。

震災直後から、国内外からの多くのボランティアが被災地を訪れました。私たちは、彼らと共に、主に気仙沼市内で、家屋の「泥だし」をし、被災者の救援活動、支援活動を行いました。日本の災害では過去最大級であった、2011年の東日本大震災は、ボランティア活動においても、過去最大規模であったのです。わたしは、その現場で、被災地の現実を目の当たりにして、悩み、打ちひしがれ、また、多くのことを学びました。

そんな中で、住田町のキャンプに、現れたのが一匹の野良猫「ミウ」だったのです。

私は大阪に妻と娘を残し、被災地への単身赴任でしたので、その寂しさを癒してくれたのがミウでした。最初は、人間を警戒してた野良猫でしたが、心を許してからは、まるで、友達のように交流しました。

サマリタンズパースの住田キャンプは、2011年11月には、その使命を終えて、解体されましたが、私はその後、気仙沼市内に家族を呼び寄せて住むことになりました。そんなときに、ミウのことを、「物語」にすることを思いつきました。

不思議なことに、この物語を書き始めると、次々にストーリーが思い浮かびました。宮城県の仮設住宅に支援物資を運びながら、また、被災地の夜の道を迷いながら、車で走っているときに、登場人物のセリフが思い付き、それを書き留めながら創ったのがこの小説です。

この物語は、実話と空想が交じり合った、私の初めての小説です。

2017年の今も、私たち家族は気仙沼ホープセンターという、ボランティア施設に住み、地域の人と交流を重ねながら、息の長い支援活動をしていきたいと願っています。

「住田町の野良猫ミウ」の現在の姿は分かりませんが、きっと、どこかで、わたしたちと同じ空を見上げているにちがいないと信じています。

この作品をお読みいただいた皆様に感謝いたします!

主イエスの愛にありて、拝。

デイビッド風間 (気仙沼にて、2017年5月末)

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お願い

2017年に入ってからも、気仙沼での復興支援活動を継続しています。

お志のある方は、サポートからもご支援ください!

みなさまの、ご支援、お祈りに心から感謝いたします。(みやう!)

(デイビッド風間)

著者連絡先: http://khopec.org

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