小坂忠氏の伝説になるであろうライブを観て
めったに大物アーチストのコンサートには行かない【←行けない】私なのですが、今回のライブは特別でした。いや、それは、奇跡そのものでした。
気仙沼から深夜バスで東京に到着し、用事を済ませてから行った東京国際フォーラムのホールAには、特別の熱気が漂っていました。集まった観衆は、私のように中年以上が多かったのですが、その中にいかにも「ミュージシャン」的な人も多く見られました。
開場が予定より遅れて、開演も遅れ、5000人近い満員の観客はどのようにしてこの歴史的イベントが始まるのかを待っていました。
さて、結論から言うと、ショー・ビジネスとしての主催者の意図を遥かに超えて、その芸術性と卓越した演奏と歌声は私の心を打ちました。「小坂忠」というアイコンを中心に据えた、日本のロックの萌芽期の思い出と証言が語られる中、会場は終盤のHOROに向けて盛り上がっていきました。
コンサートの中で、小坂忠が歌い出すと、その言葉一つ一つが明確に聞こえるのです。ここが他のシンガーとの違いです。つまり歌詞の「滑舌」そのものが奇跡的なのですね。パワフルで音程のしっかりとした歌い手はたくさんいますが、小坂忠ほどに「言葉が聞こえてくる」シンガーはいないのではないでしょうか?特に、昨夜の小坂忠の歌声は、ただ、かっこいいだけではなく、ただ熟練しているだけではなく、言葉に「力がある」ことを感じました。
それは、フィナーレに歌った「主我を愛す~Jesus loves me this I know~Amazing Grace」で最高潮に達しました。
その時、5000人で満員のホールは教会になりました。
クワイヤがーいるからではなく、「主我を愛す」という言葉が、真実に裏打ちされていたからです。
確かに、格好だけでもゴスペルは歌えるのです。しかし、その本人がイエスの愛を体験し、奇跡の神のリアリティを知ってゴスペルを歌うときに、それは「奇跡の歌声」になるのです。
私は、それを同じ空間で聴いて、涙が止まりませんでした。
その「奇跡」とは、総合演出の松任谷正隆氏が「裏テーマ」と言っていた「奇跡」が「神の奇跡」に昇華した瞬間でもありました。
私は、今回関わった、キラ星のような、ロックレジェンドたちがやがて「俺もジーザスを信じる」とカミングアウトすることを信じることができます。そして、会場に来ていた、「普通の日本人」5000人も同様だと確信します。
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なぜなら、そこには、神の霊が働いていたからです。
なぜなら、その日のために、多くの祈りが捧げられていたからです。
なぜなら、小坂忠氏は、イエスを愛し、イエスに愛されていたからです。
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そして、本当にイエスを信じている人が、語り、歌い、生きているなら、有名、無名に関わらず、人々は見えない神の愛と力を感じ取るものなのです。
私は、気仙沼に帰る深夜バスの時間が迫っていて、肝心のアンコールを聴くことができませんでした。しかし、それでも、こ のライブの感動は今も続いています。
小坂忠氏の人生に働くイエスの愛と力は真実(リアル)であり、永遠です。そして、あなたも私も、全く同じ愛で生きることができるのです。
昨晩の真のレジェンドは、ジーザスでした。
主イエスに栄光、そして、地には平和があるように!
【2018年11月27日、気仙沼にて記す】
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『なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。
人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。聖書はこう言っています。
「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。
同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。
「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。』
ローマ人への手紙10章9節~13節
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