人の怒り

私はよく、「風間さんは、子供をあまり叱らないのですね。」と言われます。実のところ、娘を本気で叱ったのは今まで2回。息子は1回だけです。もちろん、小さな注意は数多くしていますが、本気で叱ることは、極めて稀です。

というのは、私の叱る基準は「大きな怪我をするほどの行為をするか、他人の人格を傷つけたり(見下したり、バカにしたり)危険をもたらした時。そして、自己中心な行動で、周りの人に極めて重大な迷惑をかけた時」などです。

それでは、子供が夕食後にぐずったりした時はどうでしょうか?わたしは、そんな時は、「この子がぐずるには、なにか理由があるのか?」とまず考えるようにしています。

たとえば、その子は、昨日「親の都合」で、色んな所に連れてゆかれ、そして、前日、寝るのが遅くなり、次の日に疲れが残っているとしましょう。昼間は元気でも、夜になったら、宿題もせず、泣き出したとしたらどうでしょうか?

ほとんどの親は、「早く宿題やりなさい。なんでグズグズしているの。約束でしょう!風呂の前に宿題やらなければ、寝ちゃうんだから!」と怒るのではないでしょうか?

でも、そのぐずりの原因は、昨日の親による「勝手な」予定にあったのです。

まあ、これは一例ですが、多くの場合、子供を叱るときには、その原因を考えるという、一呼吸があれば、穏やかに接することもできるのです。

もちろん、私も感情的になることはあります。しかし、そんなときには、次の話を思い出すようにしています。(以下は、正確な引用ではありませんが、まとめるとこんな感じです。)

***
1995年の1月の阪神淡路大震災で、倒れてきた家具の下敷きになって、幼い子どもを失った方のことばです。

「私の子供は、あの地震の朝、重い家具の下敷きになって死にました。その前の夜、寝る前に子供がぐずって、私は、あの子を叩いて叱ったのです。でも、次の朝に、その子は死んでしまいました。あの時、叱ってしまったことが、今でも後悔なのです。なぜ、もっと暖かく受け入れてやらなかったのかと。」
***

子供がぐずるのには、実はいろんな原因があるのです。いや、大人であっても「悪い態度になる」ときには、原因があるのです。疲労や体調や、将来への不安で、人の心とは、突然乱れるものなのです。

ということで、私も常にだれかに、悪い態度で迷惑をかける時があるわけですから、「子供を叱る」ときには、本当に必要なときだけに限るべきなのです。決して発作的に叱ってはならないのです。

物事、出来事には原因があり深いルーツがあるのです。ですから、脊髄反射的に「怒る」ことは、実はできないのです。

私も過去を振り返れば、短気で怒りやすかったものです。しかし、この聖書の言葉によって、私は人間の怒りというものは、決して「正義」にはならないことを知りました。

その言葉とは:

「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。」

(新約聖書 ヤコブ1:20)

本当の正義とは、人間の正義感や怒りでもたらされるのではなく、神の愛によるものだけなのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?