スケールとボリューム

ごにょごにょ考えていることです。これは書評でもなんでもないので、注意してください。とある人に説明したいからnoteに書いている。つまり、チラシの裏なので、ごめんなさい。

スケールとボリューム。点・線・面でよく登場した言葉である。ぼくは当初、この二つをべつの事象として捉えていたが、それは間違いではないかといまは考えている。

スケールについて。蟻にとって大きな面に見えるものが、鳥の目になったとき、それは点に見える。逆もしかりで、鳥からすれば点に見えるものも 、蟻の目からすれば面に見える。この各々が持っているスケールが行き来することが重要である。(と、ぼくは理解しましたが、もっと違う考え方もできるはずだし、不確かな気がしてくる)

書籍では、ボリュームに関する説明は二十世期の建築物に対する反省の意味で語られていたが、スケールを行き来させるうえでも重要ではないだろうか。

ちなみに、ソフトウェアにおいてもボリュームという概念は重要になってくるように思う。適切な規模感を持たなければソフトウェアは本来の価値を失っていく。ユーザーにどれだけ有意義であっても、上場できないからと消えていったサービスを何度も見たが、どこか間違っているようにおもう。

全編通してぼんやりしているのも、まだまだ自分のなかで整理がついていないからだろう。とりあえず、スケールをただただ変えるだけでは、問題がある気がしている。そもそも、各々がもっているボリューム感(身体、蟻には蟻の身体があるし、鳥には鳥の身体がある)を、なかったことにはできないはずだ。ボリュームこそがスケールを行き来させる上での”弁”のようなもの、説得力を持たせる装置、うーーん。もう一度、読もうかな。

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