『偏差値10の俺がい世界で知恵の勇者になれたワケ』をよんで

 『異世界』。今や、少しなりともライトノベルや新文芸を齧っている人間なら、食傷気味ですらあるかもしれない言葉である。しかしこの度、或る意味で全ての『異世界』を過去にする衝撃の作品が書籍化されたのでこれはレビューをしなければ、と筆を執った。

 そのタイトルは『偏差値10の俺がい世界で知恵の勇者になれたワケ』である。昨今はタイトルで釣る作品が増えているとはいえ、この時点で衝撃的である。なにしろ、偏差値10だ。下手をすると偏差値70より取るのが難しい。一筋縄ではいかないことがよくわかる。そして、『い世界』である。異世界の異の字が書けていない。そう、この時点で『異世界』は過去のものとなったのだ。

 まず初めに、断っておかなくてはならないことがある。自分は、少なくともこの作品について公平無私なレビュアーではない。自分と作者のロリバス氏はTwitter上であんまり喋ったことはないけど同じ町内会、くらいの繋がりがある。あと、実はデビューが同じ編集部(某Dゴンブック編集部)です。いつもお世話になっております。でも別に今回のレビューでは一銭も貰っていません。

 話を戻す。

 主人公は腕白な男子小学生の『竜(りゅう)一』。漢字は少し書ける、九九は6の段まで何とかなる。そんな、まぁクラスに1人は居るよね、という感じの小学生である。別に天才でもないし名探偵コナンでもない。

 しかし、竜一がちょうちょを追いかけて辿り着いた『い世界』の人々は、ひらがなが読めれば上等、数は2や3までしか数えられない、という「どうやって生活してきたお前ら」と言いたくなるような人間達で、極めて当然の帰結として、より賢い魔族によって虐げられている(なんと魔族は4まで数えられるのだ!)。

 よって、竜一はその知力によって(!)『い世界』のきわめて困難で複雑な問題(現地比)を解決していくことになるのだ。


 このただ事ではない世界観、ついには作者すらも持て余したのか、『ツッコミ仮面』なる文字通りのツッコミ役を登場させるに至っている(ツッコミ仮面は一応現代人相当に賢い)。しかも、そのツッコミ仮面を以てしてもツッコミが追い付いていない。寧ろ、ツッコミ仮面が新たなツッコミどころを発生させてしまっている局面すらある。

 恐るべし、『い世界』。


 まぁ、つまるところ、我々にとって「当たり前のこと」ができれば、「すごーい!」と褒められるという、異世界モノによくある世界観なのであるが。それは、見る者が見れば、あの名作アニメ、『けものフレンズ』を彷彿とさせるだろう。当たり前のことが当たり前にできる、矛盾するようだが、それは決して当たり前ではないのだ。

 そう、一見バカらしく見える『い世界』の旅路は、実のところ人間とは何かを問い直す旅路であり、かのスウィフトのガリバー旅行記の如く、多くの現実への示唆を含んでいるといっても過言ではない。いや……ごめん。やっぱり過言かもしれない。

 たとえば、作中で《なんでも作れる機械》が出てくる(ほんとに出てくるのだから仕方ない。ぶっちゃけオーパーツの類である)。しかし、その機械は停まってしまい、『い世界』の人々には動かし方がわからない。説明書を読んでも、せいぜいひらがなしか読めない彼等には理解できない。

 もちろん、最終的には主人公がこのトラブルを解決するのだが、その時『ちょっと待てよ』と思うのである。『こんなこと、現実世界にもあるんじゃないか?』と。例えば、使い方がわからずテプラだらけになるコーヒーメーカーとか。俗にいうデザインの敗北というやつだ。


 ちなみに、これはほんの一例に過ぎない。『い世界』の在り様に腹を抱えて笑った後、頭を働かせるたび、『ちょっと待てよ』が発生する場面が幾つもある。そして、やがて思うのだ。果たして、我々と『い世界』の人々の違いとは一体なんだろうか?と。


 勿体ぶるのは止めて、答えを言ってしまおう。それは、『教育』だ。

 人間の歴史は教育の歴史だ。いや、教育こそ人類の歴史だ。我々が漢字が書けるのも、掛け算が9の段まで言えるのも、偏に教育を受け、学んだからに他ならない。

 本作における『い世界』の人々は、無知かもしれないが決して愚かではない。寧ろ「やればできる子」だ。ただ、適切な教育を受けられなかった、或いは学ぶ環境になかっただけなのだ。

 その証拠に、ヒロインのミシェルは主人公と共に旅をするうちに成長し、自分で筋道立てて考えることができるようになっていく。もしも、適切な教育が存在すれば、作中に登場する『10まで数えられる』と謳われた偉大な賢者は、もしかすると『ABC予想を解決した』賢者になっていたかもしれない(まぁ、これはだいぶ大袈裟であるが)。

 教育とは斯くも偉大なものなのである。作中の《飄々》のような悲劇を繰り返さないためにも、『い世界』の人々にはきちんと学んで貰いたいものである。

 閑話休題。


 兎も角、読んでいる最中はお腹を抱えて笑い、読み終わった時には爽やかな読後感と共に、「久々に勉強でもしてみようか」と気付けば別の本を開いている。

 本書はそんな良作である。どうか、騙されたと思って一度読んで欲しい。


追伸

 《統率》さん長生きしすぎじゃない⁉

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