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名付けようのない踊りを鑑賞してみて

先日、映画館で【名付けようのない踊り】という映画を鑑賞した
私はドキュメンタリー映画を嗜好し、こちらの作品の鑑賞の2日前にも松元ヒロ氏の【テレビで会えない芸人】も鑑賞しているのだが、今回は前作の鑑賞後の自身の想いを記してみたいと思う
私はこの作品に感動し、久しぶりにパンフレットも購入してしまった(後日貸し切り露天風呂で読んでいたら手元を滑らせお湯に落下させてしまいパンフレットはヘナヘナな状態になってしまったのだが、これは山形温泉スタイルというものだ)
この作品は、田中泯さんという方の踊りにフィーチャーしている
田中泯さんは1945年生まれで66年クラシックバレエとアメリカンモダンダンスを10年間学び、74年より独自の舞踊活動を開始される 78年にパリ秋芸術祭『間―日本の時空間』展(ルーブル装飾美術館)で海外デビューを飾り、以降独自の踊りのあり方「場踊り」を追求しながら、「カラダの可能性」「ダンスの可能性」にまつわる様々な企画を実施され、ダンスのキャリアを重ねる一方で、57歳の頃『たそがれ清兵衛』でスクリーンデビューし、以降映画へも多数出演されている
作品内では彼の「場踊り」といわれる踊りを大木の前であったり街角、美術館の入り口など様々な場所で即興で踊られる
その踊りはなんの前情報もなく客観的にみると完全に常軌を逸しており、いわゆるキ千ガイじみた踊りであるように当初の私は感じた
かなりミニマルな動作の少ない派手さのない踊りで、映画鑑賞序盤では夜勤明けだったこともあり眠たくなった
しかし田中氏のその土地の表面に見えている物の下の細胞レベルでのエネルギーを体感し身体を時間をかけて稼働させるといったニュアンスの話を聴いてから、世界観に没入していった己がいた
田中氏の踊っているときの踊りの世界への没入時に発しているオーラは、平常時の話をしているときのそれとはギャップが甚だしい
私は普段穏やかだがその世界に入ると全く違った生き物のように変化し、そのことで他者から嫌悪されたり嫌がられる事を恐れ空気を読んで縮こまるようなことのない、完全にイッちゃっている開き直りともまた違う己の道を突き進む悟りに近い感覚を持っている人が大好きだ(己がしてきたボクシングもそれに近いのかもしれない)
自身がこういった類の独特な世界観の映画に惹かれるもう一つの理由は、映画を通して田中氏のような独自の踊りを通しての現代の効率性、生産性に対する自然なアンチテーゼを持った世界観に浸ることで己がネクストレベルの突入しように錯覚しその己に酔う為、という事はある
この浅はかな思想は学生時代からあった 現在は自身のやりたいことにリンクさせて活かせているように思うこともあるが、他人様の事を見てその方の思想や活動に近づこうという思想になること自体そうなれない自身の芯のなさを露呈することになっている 私としてはそういった偶然性から生み出される産物に興味がある為、滑稽であるのを自覚しながらその滑稽を突き詰めていきたい所存であるという事を想うのである

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