【高校】あてる・あてないの是非

自分は高校の教壇に立つ人間ですが,昔からの習慣なのか,教科の特性からなのか,生徒にあてることをあまり好みません。

あくまで主観なのですが,こう思うのです。

<予習前提の教科>国語・数学・英語→「やってきている」ことが前提だから,答えが用意されているはず…ならばあてて答えを聞くのが当然。やってきていなければ「なんでやってこないんだ」的な展開も想像に難くない

<予習を前提としない教科>理科・社会→「やってきていない」ことが前提だから,何でやってこないんだ的なところを問うこと自体がお門違い

自分の場合は,全体に対して「これ,どう思う?自分はこう思うんだけど,どうだろう?」と投げかけて反応を見る,あるいはYes・Noで即答できるような簡単な問いに対してのみあてるようにしています。

あてて恐怖に陥れるという方式をとる人もいます。恐らく本人曰く相応の効果があるのでしょうけども,安全・安心な学びの環境があってこそ次への意欲が生まれるのではないでしょうか。もちろんそこで睡眠学習に入っている生徒は論外ですが,恐怖感で縛ったところで学習というものは身にならないと思うのです。本来,学習というものは本人が必要性を感じて,知りたい!解きたい!という希求するものがあってこそ,成り立つ。怖いからやる・逃げ出したい感覚が先行する学びでは,どんなに頑張ろうと成績の向上など望めないような気がするのです。

その学びの責任がどこにあるのか。

すべて教員がやる時代ではない。すべてを教員がお膳立てする時代でもない。教員はどこまで生徒に「自分でやってみようかな」という気持ちにさせるか。そこが問われている今日この頃と感じます。

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