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侍女の物語を読んだ話

書誌情報

タイトル
侍女の物語 (ハヤカワepi文庫)
著者/訳者

マーガレット・アトウッド/ 斎藤 英治
出版社
早川書房
発売日
2001/10/24※文庫版の発売日、作品の発表自体は1985年
ISBN-13
978-4151200113

概要・あらすじ

舞台はキリスト教原理主義者がクーデターを起こし、政権を握った近未来のアメリカ。かの地は狂信的なドグサレ共が支配するディストピアと化し、主人公オブフレッドは縁もゆかりもない政府高官の子を産むという(しかも産んだらまた別の高官のもとに派遣される)人権ガン無視な役目を押し付けられる。

雑感

・ディストピア物は『すばらしい新世界』と『1984』は読んだが、抑圧的な雰囲気は後者に近い。ちなみに私は死んでディストピアの世界に生まれ変わるなら、前者がいい。

・作品発表から約20年ほど後に日本の某大臣が「産む機械」発言をした。それから15年ほどが経過しているが、こんな考えは程度の差はあれ、世界格好にに蔓延している。その点では侍女の物語で描かれた世界は決して荒唐無稽なものではない。

・反乱分子を処刑後に晒しておく描写は、ナチのような残虐性を感じる(映画の処刑の丘とかジョジョラビットで見た)。

・オブフレッドは政変前には家庭を持っていた。所々で語られる話を見るに既婚者との不倫の末に略奪をした(その後娘が生まれた)ようである。その点では彼女はまるっきり清廉潔白な人間というわけではないが、だから今の境遇になったのも仕方がない、ということにはならない。主人公がまるっきり褒められた人間ではないことがバランスを取っているようにも思う。清廉な人間がひどい目に合っている、というのはなんとも作り話らしい(当然作り話なのだが)

・侍女たちの名前にはオブという接頭辞がつく。日本語では分かりづらいが、アイルランド系の姓に見られる「O'(オブライアン、オコナーのような)」ではなく、「of」と綴られる。
前者は~の子孫という意味(ブライアンの子孫、コナーの子孫のような)を持つが、侍女の物語で使用される後者は~のもの、~に属するというような意味である。つまり、侍女たちは配属された家の姓にofをつけて名乗らせ、所有物として扱われる。まさしく「産む機械」扱いである。

・主人公をはじめとした侍女たちは政府高官の子を産むために配属される。人間の子どもはオタクくんや箱入り娘が考えているようなキスや手つなぎではできない。もちろんそうだよSAY KOU SHOW。
とはいえ、禁欲を是とするC教原理主義の国なので子をなすためとはいえ快感を得るような性交渉はご法度である。なにしろ聖書の教えに忠実に、が原理主義なので十戒の姦淫してはならないという項目に反する。
でも穴に棒を挿し込み、かつ興奮をしないと出るものは出ないのが人の体及び生殖の仕組みである。
そのためにキスも前戯もしない、なんなら相手の顔をみない、極力興奮を、快楽の沼に陥らないように穴に棒を挿し込んで出すものを出す、ただそれだけである。人の営みというより作業に近い。

・フィルマークスを流し見していたところ、あるレビューが目についた。
曰く『スキャンダル』(原題:Bombshell、2019年公開の米映画でFOXの経営者のセクハラ告発について描いている)は侍女の物語の小母たちや高官の妻たちの愚痴しか書いていない、という。
映画の内容を細かく書かないが、まあその面はある。シャーリーズ・セロンやニコール・キッドマンたちの演じた実在の人物をモデルにしているが、彼らはある程度発言権のある地位にいた。オブフレッドのように何も言えない立場ではない。
ただそれは不幸自慢の様相を呈してしまうので建設的ではないように思う。この世で最も不幸な人間しか自らの窮状を嘆くことが許されないのか。
連帯できるはずの小母や妻たちとメイド・その他使用人たちを分断させることは体制側の一つの思惑であり、過去に大英帝国が植民地支配で使ってきた手法である。





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