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笑えないクリエイティブはダメ。

もう夏も終わって、だんだん秋になってきましたね~。

最近は雨ばっかりでまともに秋!!紅葉!!!という気分にはなれていませんが。

そういえば予想以上にブログの記事書いていてまだアメブロからの移行記事移行しきれてないんですけど、久しぶりに書きたいことができたのでそんなもん無視して書いていきま~す。


最近、笑えないクリエイティブってダメだと思いました、はい。

話を進める前に「クリエイティブ」っていう言葉の定義をしちゃいますね。

今回の記事で私が話す「クリエイティブ」は、なにか創り出したり、生み出したりしたこと・もののことです。有形・無形を問わず、サービスであったり、コンテンツであったり、アイデアだったり、人から生み出されたものすべてのことを言います。


私は小学生の時から、クリエイトするのが大好きなスーパークリエイティブ小学生でした。

ゲーム機が禁止されていたので図画工作で紙芝居みたいに場面が変わる超手動のペーパープレステを作っては友達にやらせたり、経緯はあんまり覚えてないんですけど、たぶん大人だけが新聞を楽しんでいてずるい!と思ったのか「子ども新聞」という手書きの新聞を不定期で書いては近くのcoopでコピーし、友達に配ったりしていました。

ゲーム機はクオリティが低すぎたので任天堂とかのゲーム機を持っている子からは相手にされませんでしたが(笑)

あ、でも子ども新聞は作っていったら割と人気になって、自分のクラスの友達2人くらいから隣のクラスの子たちまでほしいと言ってくれる人が増えて小学5,6年生の二年間でおそらく50号以上は発行しました!


こんな自慢げに小学校の頃の思い出を語っていますが、自分でも思い出したのは最近で、引き金はギンザグラフィックギャラリーに置いてあったこの本。

友達に誘われていった横尾忠則展がギンザアートギャラリーでやっていたんですけど、その三階にたくさん本が置いてあってその場で読めるんですね。

たぶん横尾忠則とは関係ないんですけど、目に留まったので読んだら、結構当たりの本でぐさぐさ心に刺さる言葉がありました。

そのぐさぐさ刺さる言葉シリーズの中に、個性の話がありました。

この本によると、どうやら大体の人間、20歳以降になると自然と人の価値観に合わせて物事を考えていくようになってしまって、考え方が他の人と一緒になっていってどんどん没個性になっていってしまうらしいんですね。

じゃあどうすればいいかっていうと、子供の頃何が好きで何が嫌いだったかっていう感性を思い出すといいらしいんですって。

自分が天才と思い込んでいたときの感性は、純粋である。好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。この感性の原点に立ち戻れば、個性は自ずと見えてくる。

この言葉を受けて、たしかに小さい頃って自分って最強なんじゃないか!?!って思い込んでたなぁって思いました。


今も何かまだないものを閃いてクリエイトすることは大好きです。

大好きだったんですけど、インターンの課題で「こういう問題があってそれを解決するアイデアを考えよ」のようなお題が出て自分の中からつまらないアイデアしか浮かばなかったときに本当に苦しかったんですね。

そうやって出した案は自分で見てもつまらないし、友達に見せてもいまいちな反応しか返ってきません。


自分が楽しみながら作ったり、想像してわくわくするものじゃないと、やっぱり相手もわくわくしないんだなあと思いました。


だからやっぱり自分の中でクリエイティブにおいて大事なものって

笑えるかどうか

だと思います。

それを作っているときにわくわくして自然に笑顔になっちゃっているか、それが完成したのを想像したとき笑顔になれるかどうか、完成し終わったあと誰かの目に触れたり、使ってもらったり、持ち帰ってもらったり自分の手を離れたその日の夜、1カ月後、半年後、10年後「いいものを作ったなあ」と思い出し笑いができるかどうか。

自分が作ったものが届いた全員を笑顔にできるかどうかという確証はありませんが、自分がちゃんと笑えるものを作れたなら、届けられた人も笑えるはず。


とにかく自分がまず楽しむことがクリエイティブの第一歩。

たのしむぞ!!





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