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07.コロナ転じて福となす

福の禍と為り、禍の福と為るは、化極むべからず、深測らざるべなり。  ―塞翁が馬『淮南子』

これは中国の古典・淮南子の故事「人間万事、塞翁が馬」の一節だ。いまの幸福がのちの禍となり、いまの禍がのちの幸福となるかもしれない。その関係性はとても深淵なので予測することは不可能だということ、だ。

むかし、おじいさんの飼っていた馬が逃げ出してしまった。人々はおじいさんに同情したが、おじいさんは「この禍が福にならないとは限らない」と言った。少しして、その馬は別の足の速い馬を連れてかえってきた。その馬が繁殖した。おじいさんは「この福が禍にならないとは言えない」と言った。また少しして息子が落馬し、骨折した。するとおじいさんは「この禍が福とならぬとは限らない」と言った。少しして戦争がはじまり、徴兵された9割の兵士は戦士したが、息子はけがのおかげで徴兵を免れ生き延びた。

という話。


久しぶりに地元の図書館に行くと、「絵でよむ漢文」という本に手がとまった。それを開いて思い出したのは浪人時代に通っていた予備校の古典の講師だ。

「おまえら、大学合格しました~!よし五段活用やろう!!ってなるやついるか??ならねえだろ?だから今勉強しろ。」

と言っていた。

先生、わたし五段活用は勉強してないけど、大学最後の年に漢文読んでます。


だいぶ忘れていたが、わたしは中国の古代歴史が好きだった。もともとは「ふしぎ遊戯」という異世界ファンタジー漫画にはまって朱雀とか白虎とかの四神を詳しく調べていたときもあった。

そして、実は大学受験でも滑り止めとして受けた別の大学の中国文学専攻に合格していた。

結局そこにはいかなかったが大学2年の時のゼミ選択の前段階でいまのゼミと中国思想を学ぶゼミを両方とっていた。


1番手ではないけれど、じつはずっとうっすら興味を持ち続けていた中国古典の物語。


久しぶりに使った図書館カードは数年前に期限切れになっていた。

コロナになってずっと家にひきこもり生活をしていなかったら、地元の図書館にわざわざ行こうと思わなかっただろう。

昨日はスマホの電源を切り、TOEICと本を読むなどをしていたのでほとんど画面を見なかった。今日は昼に起きてずっとスマホを見る生活をしていた。

振り返ってみると、昨日も今日もこんな深夜にnoteを書いてるとちょっとした疲労感があるが、今日の疲労感はなにもしてないのに疲れてるいやな疲労感だ。


本を読み、英語の勉強をしていた時の方が、深く、もぐっていたような感覚だ。もっと潜っていたい。

今週のうお座は自分との対峙だとしいたけ占いで言っていたので、今週はなるべくスマホの電源を切る1週間にしよう。


過ぎる一日は一瞬だが、このコロナが起こした大きい禍の年でいままでと激変した日々を過ごしている。この禍がのちに福となるように、いまは自分の中に深く潜っていこう。


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