見出し画像

夜勤and集中と混沌

夜勤のことを書く。
私の仕事は介護のマネジメントをする役目であって、ケアは行わないはずのケアマネジャーだ。

上記のように、ケアマネの仕事では、身体的な介護や家事などの手出しをしないのではあるが、いかんせん相手は「介護を要する状態の人」である。
たとえば、訪問したら失禁していた、立てなくなっていた、など必要なときには必要な援助をせざるをえない場合もあるのがケアマネの実際だと思う。

27歳のときに他者の介護をする仕事を始めて、32歳でケアマネ試験を受け、半年の研修を経て33歳で新しい街でケアマネデビューした。

私は8人兄弟の5女で末っ子だ。
もともと内向的なうえ甘やかされて育ち、成人前に結婚した。一周り年上の旦那との対話も少なく、30歳を過ぎても精神的にネンネだった。

初めての「在宅介護」
つまり、施設内ではなくて、自宅や街なかで暮らす高齢者の生活全般に対して、ケア(介護)をマネジメントするということ…
それはいったいどういう事なのか??まるで分からなかった。

まずあちこちへ移動する事だけでも自転車で何回も転んだし、何本も傘を圧し折った。
スマホの無いときで、手のひらサイズの地図を携帯し、大阪市内のわちゃわちゃした道路事情や土地の交通ルールにも疎く、トロいぞ!と何度も路上で罵声をあびた。

何だか分からないけどすべてのお宅に訪問しなければ減算になる。せっせと高齢者のお宅を訪問するのだ。
何の話をするのかは分かっていなくとも顔を出しさえすれば大丈夫だった。
日常生活に対して質問をして傾聴すれば、いくらでも相手は自らの事を語ってくれたからだ。

ケアマネジャーを利用するに至るには、何かしらその人自身に喪失したものがあると言える。
会話の中から「困っていること」は自然と出てくるので、困っている事への解決策を考えることができた。

しかしそうは問屋がおろさなかったのが、いま、わたしがケアマネジャーをしながらも週末に夜勤で介護をしている利用者さんだ。



出会いはケアマネジャーになってすぐの平成22年5月。
相手宅は事務所から遠く、自転車で30分走った先に住む、寝たきり最重度の利用者さんで、喉には穴が空いて人口呼吸器に繋がっているので声も出ない。

お喋りに飢えていて、質問すれば嬉々として答えてくれるような性格ではなくて、ましてや病気で心中も難しくなっている。
声は出せないので本人の意思を聞くには「文字盤」と呼ばれるアイウエオ表を指して、まぶたの開閉で一文字ずつ拾ってつなげるという、双方に根気が要る作業を行う。
顔を見て突っ立っていても間がもたない。

何をしたらいいか分からないけど、とにかく行かねばならないのでお宅を訪問するのだが、いざ顔を合わせても一対一では会話が繋がらない。
「日常生活に対して質問して傾聴すればいい」相手ではないのだ。

訪問して「調子はどうですか?」と尋ねた私。
お茶を濁すように適当に発したその一言に、相手からはハア?という顔のあと、ギロリと睨まれた。
なんと文字盤を指したかハッキリ覚えていないが意味は覚えている。
「無神経なことを聞くな」

瞳の動きで文字を指すよう促し、ゆっくりアカサタナと一語一語に指差しが進み、まぶたの開閉で文字に指が止まるたび、ハッキリと拒否されていることを突きつけられる。
青くなり、ほうほうのていで退散する。

また違う日の訪問では、心は緊張して引き攣りつつも、表情はおだやかに繕いながら
「看護師さんは何時に来られるんですか?」と尋ねてみた。
ケアプランを作成した時に看護師の訪問する時間は確認して分かってはいたが、これまた話すことが無いから適当に投げかけた質問である。相手の瞳が動く。一文字ずつ文字を拾う。ゆっくり相手の意思がつたわる。
「なにもわかってないんやな」

あんたは何をしに来てるんや、というオーラが滲み出ている。じわり冷や汗がにじむ。

「失礼なことをしたんだ」と震える。

「今日は何時に看護師さんが来るんですか〜?」と適当に質問をするのは、他のお宅でも使うようなありきたりな会話の投げかけである。
それを「失礼な態度だ」と、喝破されたんだ。

退室して自転車に乗ったとたん、涙が出た。自転車で走りながら不甲斐ない思いで泣けた。
どう向き合っていいか分からない事を自覚したのだ。

相手は、自分ではもう一生動けず死にたいくらいに辛いなんて、決して言わないし絶対に見せたくない誇り高い人だ。
無神経に土足で周囲に踏み込まれることを非常に嫌う。
自宅でひっそりと暮らし、会う必要が無い人には会いたく無いのだ。
つねに「お前は何者だ?」と問うている。


事務所の代表に相談した。
この現場においての相談支援の役割はすでに一人の看護師が担っていて、ケアマネは何人も交代したが書類作りだけの存在であったこと。
現場で実際に求められていることは、家族の介護負担の軽減であるとだと、代表は理解していた。
だから、駆け出しひよっこの私に「介護をしたらいい」と教えてくれた。「訪問したときに介護をしたらいい」と。

そのお宅では主に家族が介護をしており、それに代わりうる担い手として、医療サービスの看護師は最大限度まで使ってはいたが、訪問ヘルパーについては介護の必要性に反して、ごく最小限だった。

介護保険サービスでさえ殆ど利用しておらず、利用できる枠はまだまだ沢山余っており、人工呼吸器装着者でありながら障害者支援サービスについては申請もしていなかった。
つまり公的に利用できるサービスを活用しきれていない、人の手を入れていない状況だった。

介護保険を利用するお宅へ、ケアマネージャーは月に一回、必ず訪問してモニタリングを行わなければならない。
本人に伝える。
他のお宅に訪問すると、話をするだけで1時間は経ちます。こちらではお話することがないので、1時間、私が介助をします。そのあいだ家族さんが休んではいかがでしょうか。

この提案は、すぐに受け入れられた。
看護師さんからレクチャーを受けて、唯一のヘルパーさんに同行した。入浴介助も手伝わせてもらい、ひと通りのやる事がわかった。
(このころ、喀痰吸引等医療行為に関する制度はまだ整っていなかったので、看護師からの指導のみで大丈夫だったのです。のちにきちんと研修を受けて行政登録をしました。)

月に一度、ケアマネとしてモニタリング訪問をしたらキッチリ1時間、介助をした。
ベッドから車椅子へ移り、顔を拭いて歯磨きをして、トイレを済ませてまたベッドへ戻る。
会話は文字盤を使って自然とするようになって
身体をさわるので信頼関係が生まれた。

それが2〜3年続いたのち、私が潰瘍性大腸炎になり体調を崩したことをきっかけに、1時間の介助は終了した。
その頃には繕うことなく自然と会話はおこり、他の人の介護を受け入れ、介入するヘルパーさんが徐々に増えていった。
介護保険枠だけでは足りなくなり、障害者支援サービスの申請もすることになった。



しかし、与えられた枠を消化するにも、介護の担い手(訪問介護ヘルパー)が見つからない。

これまで15軒ほどの事業所さんから、何十人ものヘルパーさんをこちらの現場へ送り込んでいただいたが、定着するのはごく僅かの人だった。




平成24年から法整備が整えられたことによって、喀痰吸引や胃ろうなどの医療行為を介護ヘルパーが行えるようになる為には、特定の免許の取得や各種手続きなどが必要となった。
事業所の労力、時間、それに経費が、それまでと比べると膨大にかかることになった。

喀痰吸引等が必要な利用者を受け持ち介護することは、他の利用者さんと比べてとにかく利益に結びつきにくい。

その困難さをあえて実施している事業所自体が貴重だ。何かしらの強い理念がなければ、そこまではしない、という領域なのだ。

そのごく少数の慈善的な事業所さんの抱えるヘルパーさんの中でも、エース級の人でないと介助できない難しさが、その利用者さんにはある。
「身体介護に手練であること」「精神的な落ち着きもしくは素直な前向きさ」「根気もしくは負けん気」が揃っていないと続かない現場であり
しかも「同性限定」「夜の時間に働ける人」となると、現場の人材確保は困窮を極める。

今年、2人のヘルパーさんが辞めることが分かっていたので、昨年は1年近く前から口コミや繋がりをもとに10名以上の貴重な人材をあちこちから掘り起こして、各人に現場で研修してもらったが、結局一人として定着せず、年が明けても抜ける2人の穴埋めが出来ずにいる。




現在、昼夜ケアを担っている4人のヘルパーさんとともに私も週2日夜勤をしている。

ベッドからの起位動作、ポータブルトイレへの移乗とベッドへ戻る介助を、一晩に数回繰り返す。
全集中する瞬間だ。

これまでもヘルパーさんの休みや辞めたときの不在時にフォローしてきたから、慣れているはずだ。夜勤者の不在が数年前から続いているので私の夜勤だって続いている。
しかし毎回、慎重になるし緊張する。
ぼやっとしてたら危ないのだ。

昨日もスマホの持ちすぎの右腕と右背に力が入りにくく、抱えている時には実際ヒヤリとした。
次のポータブルトイレ介助に出る前には、暗がりで「おい~~しっかりしろよ~」と自分をトントン叩く。

手順通りにスムーズに動きながらも
うまくいくかな、と、
これでいいかな大丈夫かなと思う。
手を離しながら
まずかったかな、しんどかったかな?と気配を探る。

相手の筋肉は、ほぼ全身弛緩しているので、私の指先の力の入れ具合で位置が変わる。
抱き起こす角度、力の伝わりかた、起きたときの頭部の位置、肩の寄せ具合、自分の胸に身体を寄せる角度、手を回す位置、持ち上げて、お尻を下ろす位置…
毎回、毎回、なんでか微かにちがう。
何百回と同じ動作を繰り返していても「よっしゃピッタリうまくいった!」とならない不思議。
触れるまえには「丁寧に丁寧に」と脳内に言い聞かす。

首が枕に付く前に頭がガクンと後ろに反らないよう慎重に腕を下ろす。
足の位置、かかと、腰、肩、腕、指先、と位置を整えていく。首、頭、顔の向き、と心地よいポジションへ、安静を得られるような角度をとりたい。

部位にはそれなりに重みがあり、支点と重心で微妙にうまくいったりいかなかったり。

ベッドという限られた空間の、いつもの位置なのに、どうしてこう無限に差異があるんだ

同じにならない(なってるのか?)

できなければ、表情で指示が入る。
その瞳や口の動きで言いたいことを察することができなければ、文字盤で言葉を拾ってやり直す。
「めくれてる」「うえ」「ひだり」
ひとつの意向を私に伝えるために、夜中、電灯に目をショボショボさせながら文字列に誘導しては、何度もまばたきを繰り返さなければならない。

寒くても痒くても指先1つ動かせない相手に対して、布団をかけるだけでも配慮が必要となってくる。


そのような集中に対して、人間は気持ちが良くなるように出来ているんだと思う。

獲物をとるときの集中
味をみるときの集中
スピードを出ししながらコントロールするときや
手を真っ直ぐに伸ばすことにでさえ
集中すると
その集中がおわった瞬間、うまくいったかどうかとはまた別のところでうっすら気持ちが満たされるような…
集中の深さによって、なにか気持ちいいものが得られる感じがするのだ。



普段は見過ごしているだけで、このような気分の良さは、誰もがいつも感じられることではないかと思う。

あの気持ちのよさってなんなんだろう。

集中してる時に感じられるのは、混沌とした自分なのではないか。

恐れ、緊張、チャレンジ、慎重、思案、喜び、安堵、さぐる窺う心、落胆、恥、なげやりな心、困惑、達成感、自信、勇気、決意…
自分の中にある思いを言葉にするのは難しい。介助の最中に感じるものを、あえて言葉に置き換えてみた。

ほんのひととき、それが一瞬だったとしても、色~んな自分のなかのモノがない交ぜになっている。
取り留めのない情感がぜーんぶ、その集中のなかにある。
つまり自分である。


心の奥に沸き上がる思いは、自分が今まで経験してきた様々なこといっぱいから、この瞬間へ繋がるものであって、自分だけのピュアなものだ。

自分だけが感じる、正真正銘の、今の自分。

純粋な自分を垣間見る。つながる。
不安定で混沌とした自分。
それは美しさだ。
生きるものの美しさだろう。

集中したとき、なにも無いような「無」なのではなく、深い情緒をもつ「わたし」にアクセスしているのかも知れない。
それで、なんだか説明のつかない気持ち良さを感じるのかも知れない。




でも、これは
集中で得られる感覚をつかんだのではなくて、たとえば…の仮説をたてただけ。

仮説を立てたら満足する。
満足っていうか
「そっかー」って、「まあ、いっか」って
感謝に近いかも。

そっかーなんかいろいろほんとありがとうって(笑)いのちって複雑でまったくわけがわからない!お手上げでどうもって。

てにおえない。わからん。こたえなんかない。どうもできん。もうしらんわ。


それで、それらは、わたしが生きていることに包括されてしまって、もう無用となる。

生きていることで答えだし完結だし

どんな不思議でも、なんにも意味の無いものにできるってわけだ。

いろんな説明はもう無用で、意味がなくて、とっても自由になる。
いらんなーーー!という喜び。

無用って愛なのね。
だから消えて分からなくなってしまうのね。


昨日、夜勤明けでお天気なので散歩してきた。4/28 8:00から9:00
散歩中のみどり鮮やかな写真を添えます。
下は、そのまえの夕陽のころ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?