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色に惹かれた

年末に絵画を買って、年明けに届いた。
絵の具の雰囲気が、自分の思っていたことにピッタリだと思ったので、ネットで見て「買うわ」と即決した。

色が混ざっている。

混ざりながらもカテゴリーがあって、分かれているけど重なり合って1枚であると表現されている。

その作家さんの作品をホームページ検索して、全部見た。
全てどこか、もの悲しく暗いようにも思え、重たい表現に感じた。

自分の心境とは少しズレがあるとも思った。
でも、色の重ね方がいい。

この世界、わかる、そう思った。

ポップな遊びや希望が前面に出ている、分かりやすいものを選んだ。

今回、絵をかけ替えたい場所が、玄関だったし、パッと見て明るいことを重視した。

私が「飾りたい」と思う絵画は、柔らかくて優しい、ホッコリするようなものばかりなので、今回は趣向が違っている。
でも、それも楽しい。

ピッタリだ、と思ったこと
それは、最近私が思う、世界の見方である。

私の早食いはマイナス12
私の服のセンスはプラス12

それで、プラスマイナスゼロ

私の数字の弱さはマイナス36
私の文章力はプラス36

だから、プラスマイナスゼロ

私が焦って無茶苦茶なことを言うとき
隣の人が落ち着いてくれていた。

これもプラスマイナスゼロ

難しいことなのに簡単に物事を進めれたとき、おおきな喜びが得れたから、プラス。
それは、幾人もの人や、状況がなにかがマイナスを背負って助けてくれているからだ。

それで、プラスマイナスゼロ。

私たちは、プラスとマイナスを補いあっているし
凸凹を補いあっているし
色を補いあって重ね合って調和している。

涙と笑顔
苦労と幸運
戦争と平和

みんながプラスとマイナスで
それでゼロなんだ。

世界は、無だという。

無とはゼロだろう。

無とは、ゼロとは、「何も無い」のではない。

何もかもが
なにもかもがある。

マイナスとプラスと
デコとボコと
全てがある。


176万5千369ぶんののマイナスには
176万5千369ぶんののプラスが、どこかで、なにかで必ずある。

形も色も、必ず必ずイーブンになっている。
世界のどこかで必ず。

マイナス1が無限にあるということは
プラス1も同じく無限に存在しているということなんだ。

だから、このままでいいし
これで完璧なんだ。

無とは、「何も無い」ではなくて「何もかもある」ということだ。


凄いなあ、この世界は!
と安心する。
ホッコリする。
優しくなれる。

私は補われているし
世界は補わているし
全てがゼロで
全てがある。

プラスとマイナスが増え続けて、豊かに膨らんでいてそれは、なんでもアリなんだ。

アリ。いい。

YES。

YESしかない。

しかも、それは、果たしてゼロ(無)

ゼロですよ。
ゼロなんですよ。
なにもかも
どんだけしても、ゼロ!
良かろうが悪かろうが、堕ちようが昇ろうが
ゼロ。だからいいんだ!

私は「この世は無である」という言葉が
本当にゆるされていると、祝福なのだとおもう。光であり、愛であると思う。

私は自分を、この世界とは区別される肉体であって、個別の意識であって、一人で孤立して分離して生きていると思っているし、楽しさも悩みも苦しみも、私自身のものだと思っている。

けれども、なんか全体で大丈夫なんだと、確かに安心している。

色を重ねて、それが調和となっている絵画のようであり
寂しげであったり
ポップであったり
分かりやすかったり
それらを本当に素敵なことだと思う。

今日は、腹痛に襲われて、洗面所の冷たい床で一時死んでいた。
吐き気と胃痛でどんな体勢でも苦しく、冷や汗をかいた。
助けてーと声を出してみた。
助けて助けて助けて助けてーと何度も言った(私は1人です)

やがて助かった。
苦しんだけど
寝て起きて
ご機嫌に変わりない。

腹痛から眠りを経て、起きてから近所のミスドで、久しぶりにブログを書き始めた。

マイナスとプラスでゼロ。
このままでいい。
胃に違和感がっても
実際になにも起きていない。
いつもの私だ。

平和だと思えることより、平和なことはない。

本年もよろしくお願いいたします。
読んでくれてありがとう。

元旦のベッドから、登りきった朝日

陽を浴びてゴロゴロして過ごす最高な正月

出勤して職場の近くに出来たハンバーガー屋さんでランチ

近所のショップモールの門松。毎年凝ってる。









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