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箱の中(普通日記)

私の居場所は今この場所ではなく、頭の中にある。
アルバムの1ページ目中央に1枚貼られた写真に写るのは、私ではなく、私が入っているだろう保育器だ。このような構成で第一子のアルバムを作る両親のセンスはなかなかのものだと思う。次のページからはごく普通に赤ん坊の自分や、七五三の着物を着て千歳飴の袋を下げている私がいる。
それから10年20年、と時は流れ、私は成人した。私は側からみればごく普通に育ち大人になった一般的な人間だろうし、実際俯瞰してもおそらくそんなものだろうと思う。
保育器に入っていたのには理由があった。早産、未熟児、仮死、蘇生、黄疸、と母子手帳に記載されている。母は初産で何が起こっているのかわからかったらしい。もちろん私自身、そのストーリーは親から散々聞かされていたが記憶している筈もなく、その写真を見る度この中にいる赤ん坊の生死を思うようになった。そうはいっても私はこうして日常を生きているわけで、ちょっとした感傷を味わっていただけだろう。
成人してある時体調を著しく壊してしまった時期があった。それまで病気も怪我もせず、自由気ままに生きていたのでそのダメージは大きかった。命についてうっすら希望を捨てかけたりしそうな気分になった。その時思い出したのは、あの保育器の写真だった。まるで棺桶ではないか、赤ん坊サイズの。つまり私は生まれてすぐ一度死に、またこちらに戻ってきたのではないか。保育器と棺桶の意味は真逆だ。私が入ったのは保育器だった。
ある時「生きているとどうにもならない苦難にぶち当たることが必ずある」とある先輩に言われた。その時は(確率的に半々くらいなのでは?)と思ったが「そうなんですね」と返答した。ところがやはり人生の後半くらいになると何かと忙しく悩み迷う事が多い。自分なりに立ち向かうけれど、あとは運に任せるしかないくらいのお手上げ状態。性格上、適当に流せないのも良くなかった。そんなこんなで虚無の目で空を見ているだけのような日々があった。あらゆる手段を講じてもどうにもならない。不安が押し寄せる。
その時再びあの写真が脳裏に浮かぶ。
私はあの時蘇生することなく、あのままでいまだ夢を見続けている。私はまだあの白い箱に入っている。箱の中で面白おかしい夢を見て喜んだり悲しんだりしている。勝手にストーリーを作って。
ではそうでない方、蘇生して生きていく中で起きる様々な出来事だって夢みたいといえばそうだ。身の回りに起きる出来事に意味を持たせている。
私はどこにいても落ち着くということがない。安らぎなんていっときであり、初めて見る知らない国の自然に囲まれた家の窓辺などに惹かれるが、欲しいものというのは常に遠い。
私の本当の居場所は、肌触りがよく、静かで、いつまでもそこにいることを保証され讃美歌が絶え間なく聞こえる、そんな場所だと思う。それはここには無いが、いつかそこに行ける事はわかっている。世の中の不条理に揉まれることもその糧だと思えば有難いくらいだ。

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