「ブラックペイント論法」〔コイネージ【新造語の試み】10〕
相手や相手の構想・行動に対して無理筋なレッテルを貼っておきながら、そのレッテルを根拠に相手を批判する。
まるで、自分で相手をペンキで黒く塗ったくっておきながら、「お前は黒いからダメだ」と批判するように。
このような論法を「ブラックペイント論法」と呼んでみる。
いわゆる「ストローマン論法」(※)の一種で、場面を「レッテル貼り」に限ったものと考えている。
例えば、
「仕事が辛くてやめたい」という相談に対し、
「お前、仕事なめてないか?。なめてるだろ。なめてるからお前はダメだ!
と叱咤するケースがそうだ。
相手は単に「仕事が辛い」としか言っていないのに、そこを「仕事をなめている」と曲解し、無理矢理「お前は仕事をなめている」とレッテルを貼り、そこを根拠として「だからお前はダメだ」と断じている。
当然だが、その人が「仕事をなめている」と曲解・認定しなければ「ダメなやつ」とはならない。
まさに、相手をペンキで黒く塗ったくっておきながら、「お前は黒いからダメなやつだ」と批判する者さながらである。
もう一つ例をあげるなら、
相手が「私の事業戦略は…」と話している途中に、
「戦略立てればいいと思ってるの!?ただ立てればいいと思ってるから、そんなの無意味だ!」
と腰を折るパターンも「ブラックペイント論法」にあたる。
相手は「戦略をただ立てればいい」などまったく言っていない。その具体的な構想の内容をこれから話そうとしているのにもかかわらず、話の腰を折られた上に勝手に「無意味」と認定されてはどうしようもないだろう。
これらの例は、そもそも話の聞き方として「最悪」であるが、主張もまた「超無理筋」。
相手の意図になく、また問題でもない点を曲解し、勝手に作ったレッテルを相手に貼り、それを根拠に相手を攻撃するという、"典型的な詭弁"である。
当然、生産性は"皆無"。
相手からすれば"不信"でしかない。尊敬しているわけでもない人物に勝手に黒く塗られる"筋合"はないからだ。
この「ブラックペイント論法」は忌避の対象である。
※なお「ストローマン論法」とは、「相手の主張を歪めて引用し、その歪められた主張に対して反論するという論法」のことで、こっちは既存の確立された言葉。
具体例
A:私は子どもが道路で遊ぶのは危険だと思う。
B:そうは思わない。なぜなら子どもが屋外で遊ぶのは良いことだからだ。A氏は子どもを一日中家に閉じ込めておけというが、果たしてそれは正しい子育てなのだろうか。
(Wikipediaより引用)
僕の考案する「ブラックペイント論法」は、「"相手という人物"や"相手の構想・行動"に対するレッテル貼り」という、場面を限定するイメージだ。
…というか、「ストローマン論法」を知ったのは、僕が「ブラックペイント論法」を思いついたより後こと。
なんとか両者間に差異を出したいと思ったので、「ブラックペイント論法」は「ストローマン論法」の一種かつ場面の限定、ということにしたのはここだけの話。
正味、「ブラックペイント論法」の方がイメージがしやすいと思うのだがどうだろうか?。
(関連記事)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?