ガムのあとさき
仕事帰り、駅のプラットフォームで電車を待つ。
ベンチに腰掛けて、ふと足元を見ると黒い斑点が地面にいくつも残っていることに気がつく。
吐き捨てられたガムのなれの果て。
雨風にさらされて、なんども踏まれて真っ黒になったその姿は天然のゴムを彷彿とさせる(ちなみに、実際のゴムの木の樹液は真っ白らしい)。
よく見るとかなり古そうだ。
考えてみれば最近、道を歩いていてガムを踏んだ覚えがない。ガムを吐き捨てる人というのも見かけない。
近年、ガムを道に吐き捨てる人ってかなり減っているのではないだろうか。
ふと『ファクトフルネス』の一文が頭に浮かぶ。
わたしは、頭の中に「悪い」と「良くなっている」という2つの考え方を同時に持つようにしている。何かが「良くなっている」と聞くと、「大丈夫だから、心配しないで」とか「目をそらしてもいい」と言われている気になる。しかし、私は「世界は良くなっている」とは言っているが、「世界について心配する必要はない」と言ってはいない。もちろん、「世界の大問題に、目を向ける必要はない」と言っているわけでもない。「悪い」と「良くなっている」は両立する。
ハンス・ロスリング (著), オーラ・ロスリング (著), アンナ・ロスリング・ロンランド (著), 上杉 周作 (翻訳), 関 美和 (翻訳) 『ファクトフルネス10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』
つい先日、日経平均株価が1990年8月以来30年半年ぶりの高値まで回復したという。1989年生まれの私にとっては、私の生きてきた年数とほぼ同じくらいの期間を要したことになる。
生まれて物心ついてから「失われたXX年」という言葉が喧伝され続けてきた。
今回の株価についてもコロナ禍における金融緩和が理由で実体を伴ったものではないといったコメントを見かける。たぶんきっとそうなのだろう。
私たちはいつまで失われた時を過ごしていくのだろうか。
中高生の自殺、増え続ける国債残高、コロナウイルスによる先行き不透明な経済、相次ぐ政治家の失言やスキャンダルが今日も私たちの目と耳を暗く覆っている。
それでも交通事故は年々減少しており、乳幼児の死者数も減り、労働時間は確実に減っている。そしてきっと30年前よりガムを道に吐き捨てる人の数は減ったに違いない。
そう、常に「悪い」と「良くなっている」は同時に起きているのだ。
そんな当然なことを道端に吐き捨てられたガムに教わるのだった。
”Every cloud has a silver lining.”(意訳:悪いことの裏には必ず良い面がある。)ということわざにならって、こう締めくくりたい。
”Every spit gum has a golden saying.”(意訳:どんな些細なことにも学び得るがある)と。
参考
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?