槍の時代

琥珀色の巨大な湖は自らの粘性が作り出す独特の波模様を湛えながら静かにそれを待っていた。薄曇りの鈍い光が滑らかな湖面を照らすと、そこにポツリと船が浮かんでいた。
その船に乗る二人の男もそれを待っていた。

若いほうの男が湖面を見ながら言った。
「なあ、もしこの水の中に落ちたらどうなるんだい?」

中年の髭面の男は返した。
「まず上がってはこれんな。強くもがけばその分抵抗を増し体力を奪い力を抜けばゆっくりと下に引きずりこまれる。何分後かの俺たちのことだがね」

若い男は肩をすくめながら髭面の男に向って言った。
「そのことなら安心してくれ。準備は万端だ。なにより僕はこの仕事に関しては熟練者なんだよ」

「だといいのだがね」

槍は宇宙の遥か彼方から投擲され、加速度を増しながら一直線に進み、やがてこの星の雲を突き抜け湖底の更に深い地中に突き刺さるだろう。そのエネルギーたるや想像を絶するものがあるがmその衝撃をほぼゼロにまで消滅させるのが、この若い男の仕事だ。もちろん男自身にそんな力があるわけではなく、支給された装置を適切に設置し微調整をしながら槍を誘導するのが実質的な作業だ。

髭面の男は訊ねた。
「ここが終わったら次はどうするんだい?えっと、ストロング……フェローさん?」

「ヴィンスでいいよ。サントーニさん」

「じゃあ俺もダムでいい。で、どうするって?」

「ここの真裏に向かうんだ。そこでまた槍を刺す。順番があるんだね。まったく面倒だよ」

それを聞いてダムは眉間にしわを寄せて言った。
「真裏?この星のかい?はあ、噂には聞いたことがあったが、実際大変なんだな」

「僕も雇われの身だからね、従うしかないんだ。槍は全部で八本刺すから星を行ったり来たりだよ」

八本という数は槍の投擲者の特徴に起因する。
投擲者は八本の腕……いや足を持ち、その強靭な筋力で槍を放つと、その勢いに耐えきれず足がもげ飛ばされる。即ち八本の槍を投げ終わると、足は全て無くなり、頭と胴体、それに触肢のみの状態となる。無くなった足が再生するには脱皮を繰り返す必要があり、全ての足がまた生えそろうには数万年を要する。その投擲者を宇宙蜘蛛と言った。

ヴィンスはダムにそれを説明すると、ダムは訝しげに聞き返した。
「わからんなあ。何故宇宙蜘蛛はその槍投げを手伝う?自分の足をもいでまで」

「僕は知らないさ。まあ、蜘蛛も雇われってことだろうね。で、その蜘蛛のことなんだが……ああ、もう始まりそうだ」

ヴィンスが会話を切ると同時に湖の真上の雲が渦を巻き始めた。
その渦に周りの雲が引き寄せられるように厚みを増し、薄暗かった空が更に暗さを増した。重く細かい振動が空気や湖面、船、二人の皮膚を伝わった。

ダムの表情は不安を隠せなかったが、もはや声を発することも出来ず、ただただ渦を見て立ちすくした。

ヴィンスはこの空間で起こっているそれらの超常現象など意に介さず、手に持った計器を見ていた。

「ダム、操船を頼む。ちょっとだけバランスが……」

「ん?今何て言った?」

「いいから操船の準備だ。君の腕の見せ所だぞ」

渦の中央は円形の漆黒の闇が徐々に広がり、次にその闇の円が角の丸い六角形に変化し始めた。周囲の雲はその六角形に併せて回転し始め、空全体が徐々に巨大な六角形を形成した。

次に闇の中央に小さな青い光が見え始めた。
その光が見え始めたと認識する否や、全ての音が、消えた。
音が消えたと認識するや否や、まるで耳元で誰かが囁くように小さく泡が弾けるような音が聞こえた。
その音が聞こえたと認識するや否や、それは目の前に現れた。

船から200メートルほど先に湖面から空まで伸びた蒼白の細長い、巨大な物体が、さも今までもその場に存在していたかのように佇んでいた。

物体の幅は50メートル程だろうか、しかし空までの伸びた全長は全く見当もつかなかった。それが槍だった。
暫くの間、静寂が湖を包んだ。

ダムは特殊な操作をするであろう制御盤の前で身構えたまま言った。

「これは……上手くいったのか?ヴィンス?」

「……宇宙レベルならね。でも僕らはミジンコさ」

槍周辺の湖面が徐々に膨らんで行くのが見てとれた。
その膨らみは更に膨らみ、見上げるまでの高さとなった。
そして巨大な波となって船に向ってきた。

ダムは無言で制御盤を素早く操作し始めた。
ヴィンスは右舷まで行って身を乗り出し、指を湖面に着けた。

「ヴィンス!なにやってる!?来るぞ!」

「ダム!いいんだ!君は君の仕事をやってくれ!」

迫りくる琥珀の波はのっそりと重い腰を上げるように近づいてくるように見えたが実際には恐ろしく速く、船が動き出す間もなく船を完全に包み込んだ。

いや正確には包み込んだかのように見えた。
握りしめた手の間を間一髪すり抜ける蚊のように船は波をかわし湖岸の奥に着地した。
二人は地面に投げ出されていた。

「あの穴を作ったのはあんただな、ヴィンス」

「ああ、君は僕の作った穴の中をこともなげに船を操って進んだ。見事だよ」

「いや、そういうことじゃなくて……」

「あ、そうだ、仕事の話をしようダム。さっき宇宙蜘蛛の話をしたよね。つまり、足が全部もげたら新しいのを捕まえなきゃならない。それでね、この星の仕事が終わったら、僕が捕まえに行かなきゃならなくなったんだ。全く酷い話だよね。それで君の操船の腕を見込んで僕の仕事を手伝って欲しいんだ。本当はその為の適正テストが必要だったんだけど、今のでもう必要なくなった。返事は今すぐでなくてもいい。この星で槍を刺し終えてからでいいよ。残りは今日みたいな場所じゃないから、僕ひとりでやれる。その間は休んでていいよ。大丈夫、その間の給与も支給するから。悪く無い話だろ?」

「待て、待て待て待て……待ってくれ、整理が……おい、その、あーなんだっけ、あと七本だっけか?」

「そうだけど?」

「時間はどのくらいかかるんだ?」

「二か月くらいかな。だからゆっくり考えて貰っていいよ」

ダムは仰向けのまま暫く黙って空を見ていた。雲は先ほどまでの六角形の渦の残滓を僅かに湛えながら、徐々に自由の身を満喫しようとしていた。

「……ヴィンス、吊り橋効果ってのはそんなに長く続かないんだからな」

「え?」

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