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私をあの言葉で責めなくなった母
私が無事に高校へ、姉も大学へ進学し重責がなくなったのか、急に解放された。

母はとにかくぼんやりして、色々な事が人並みに出来なかった私をなんとか人並みにしようと必死だったのだろうと、ありがたかったなと、解放されてからやっと思えた。

いつだって周りの同級生は親への感謝を口に出来て、好きだと思えて羨ましかった。感謝できるような親と、そうでない親があり、うちは後者だと思っていた。

中学卒業時に親へ感謝の手紙を書く事があったがまったく筆が進まない。

周りへどんな事を書いたのかと聞くと、あなたには一生分からないよと笑いながら言われてしまった事をずっと覚えている。

ある時級友の書いた、親に死んで欲しいと言うのは間違っているという主旨の作文が市の文集に掲載された。教師も添削に携わっていて、応援していた事に衝撃を受けた。

私は誰かに助けて欲しくて、あなたは間違っていないよと言われたくて愚痴を言っていたけれど、まったくもって迷惑で、人並み以下で、自分に足りない物を知りもせず、感謝を知らない、そんな人間ですと大声で自己紹介をしていただけだった。

私には遊んでくれる友人も、卒業後に会ってくれる人もほぼ居なかった。
文集も、あなたには分からないよ、という言葉も、友人が居ない事も、みんなが私を見放して、諦めていて、無関心で、私は間違っている人間だと思い知らされた。

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