1周まわって居なくなって欲しい人

人の時間を奪う事に無頓着で、いつまでも自分の親の愛情を期待して、結果的に私たちに祖父母からの負債を背負わせながら責任能力のない父が嫌い。

幼い頃は母の方が怖かったし、言動も結構ひどかったから、その頃は優しかった(たぶん)父の帰りを待っていたくらいなのに、思春期になるにつれて段々父は変わり始めた。
鞄から勝手に宿題を出されてチェックされたり、交換ノートの中の誤字を指摘する付箋が貼られた時はお腹が焼けるくらい煮えくり返った。

父が不機嫌だと家が暗くなる。
それが嫌で、なんとか笑って欲しい一心でそれはもう、幼稚園児の頃から色んな事をしていたけれど、返って来るのは果てのない愚痴、聞きたくもない話ばかり。
1番覚えているのは、仕事で土下座だってするんだぞと自慢気に言われ、凄いだろうとばかりに、こうやるんだと台詞付きで見せられた時には言い難い不快感と悲しさがあった。今見せられたら、悲しいし不本意だけれど、兵長を召喚して頭を蹴り飛ばして頂きたい。
不本意だけれど、私の不快感をなくすにはその位しないと、息がしにくいから。
色々やった末に父と違う意見を言うと怒鳴られたり、母からは余計な事をするなと怒りを買ったり、散々だった。

母はというと、今は適度な距離が置けているし、当人も育児から解放されたからか話も聞いてくれる様になった。けれどまた一緒に住むのは絶対に負担になるから、したくない。
幼少から独身までは父より母の方が嫌で、中学時代にはそれはもうずっと母の愚痴を垂れ流していて、ある時同級生にいい加減にしろと窘められた事が衝撃となり辞めた(はず)。

母は片付けをしないか、出来ない人で、家はかなりごちゃっとしている。物を捨てる事に異様な拒否感があり、少しでも位置をズラした事に気付くと怒鳴り、少しでもスッキリする様片付けると、捨てていないか詰問される。時には信じて貰えずゴミ箱を漁って確認する様も、全部全部心臓に悪かった。
台所は無論食中毒が出た事はないけれど、一昔前の衛生観念だった。
黙ってやらないとさせてくれないので、定期的に夜中等に全て綺麗にして、事後報告で指摘すると、信じずに激怒した。家族には母を怒らせるなと言われて悲しさがあった。

少しでも綺麗でスッキリした家に住みたくて、母との落とし所をあれこれ考えていた時の事を思い出すと、今でも脈が上がる。

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