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姉と母を明るくしたくて、雨の中出かけて手に入れたお菓子を置いておいたら、父に食べられた。
流石にひどいと抗議すると、仕事の事を考えていたら食べてしまったんだ、こんな所に置く方が悪い、くだらない事で俺に意見するな!俺は必死なんだ!と怒鳴られた。こういう事は数回あった。

美味しかったとか、味わったならともかく、クソみたいな理由で味わわれる事もなく食べられ、私の想いも手間も、何もかも踏みにじられた事が悔しかった。
父の仕事の前には、私たちの生活のためには、私たちの気持ちも何もかも踏みにじられて仕方ないという空気は昔からずっと蔓延していた。

食事の時、父の食事は箸が無ければ私たちが取ってあげていたし、温めるのも何もかも母が引き受けていた。
父にさせると、そのせいで仕事でしくじった、忘れ物をしたと擦り付けられる恐れがあったからだ。当然、私たちも刷り込まれたし、その恐れがどれだけ恐ろしいかは身を持って知っていた。

父の殆どを引き受けていた母が可哀想で、なんとかしたくて、私はいつからか父の愚痴の聞き役を買って出始めた。そして、高校や専門学校でパソコンを使うようになり資格も取り始めた私は、段々と父からの頼まれ事も引き受けて行くようになった。
家が温かくなるなら、私が犠牲になるくらい大丈夫だと思っていた。
先述の通り、結果は散々だった。父が仕事を定年退職して、やっと、ひとまず私は解放された。

今まで私たちを蹂躙していた仕事から父が解放された。やっと平穏になると思っていたけれど、甘かった。
今のご時世のご多分に漏れず、すぐに次の仕事に就き、また愚痴が始まり、その頃にはたしか私は結婚して家を出ていた故に、実家に残された母と姉が犠牲となったままで、私には手出しがしにくいという新しいストレスとなった。

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