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再録「あのときアレは高かった」〜パーフェクトボウリングの巻

「あれ、欲しい!」

そう思うが月々のお小遣いでは到底手が出ない。恐る恐るおかんに相談してみたら、「そんなのおとうさんに言いなさい!」とピシャリ。
そりゃ、直接言えるのなら、おかんに相談しませんわな……。
と、そんなわけで、クラスの中の金持ちのボンだけが持っているのを横目に見ながら、泣く泣くあきらめたあの日の思い出。
そう、あの時あれは高かったのだ。

昭和の、子どもには「ちょっと手の出しにくい」ベストセラー商品。
当時の価格や時代背景を探りながら、その魅力を語る。

     ◇

なんでもアメリカ・ホワイトハウスの地下にはボウリングレーンがあったらしいが、オバマさんの改装によって近年なくなってしまったのだという。まるで首相官邸の地下に卓球台があったかのようなよくできた話だが、ことこのボウリングに関しては、60年代終わりから70年代にかけての一連のブームは、なかなか眼を見張るものがあった。

本場アメリカから最新機械やファッションなどがもちこまれた「アメリカン・グラフィティ的」かっこよさと、中山律子、須田開代子、石井利枝らテレビを彩る美人プロボーラーたち。テレビで中継を見て、休日にはボウリング場に行って、コマーシャルに影響されて(「さわやか律子さん」花王フェザーシャンプー)、そして、家ではこんなおもちゃで遊んでいた。

エポック社から「パーフェクトボウリング」が発売されたのは昭和47(1972)年のことであった。

なんせこの私にしても9歳の時。詳細はあまり覚えていないが、ゲームに使う銀の玉のサイズ感(パチンコ球とスーパーボールの間ぐらい)がなんとなくおもしろくて、早々とボウリングゲームに飽きた挙句、当時流行っていたミニカー用のプラスティックのレール(道路)の上で派手に転がして、勢い余って窓ガラスをかち割ったようなかすかな記憶がある。

当時の価格は2650円。現在の価格に直すと約7400円だ。

ま、そんなもんでしょうか。そこにあるのはボウリングだが、彼女とのキャッキャしたイチャつきはないし、レジャーサークル内でのカーストを争うような緊張感もない。そういう意味でも、まさに「こどものおもちゃ」の名にふさわしい「ほのぼの」ゲームだったような気がしている。


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