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(第21回)山梨県立リニア見学センター

 神奈川県の相模原市に橋本という駅がある。こじんまりした駅だが、多摩地区の住人にとってはなにかと耳にする駅だ。「ここだけの話ですが、橋本はいずれ値上がりしますので買っておいたほうが。なんせリニアが止まるようになりますので……」。そんなこと囁かれたのは、いったいいつのことだったろうか。

 リニアモーターカーは、ある意味懐かしい。国鉄がリニアモーターカーの開発をはじめたのは1962年のことだ。もう66年も前。ずっと見ている夢だ。

 僕ら「ニッポン人」は、東京-大阪を1時間で結ぶことを目指し、新幹線の次の超高速鉄道の研究をスタートさせた。1970年の大阪万博でもこの「推進浮上式鉄道」の模型が展示され、車体が浮上する「超伝導」をワクワクしながら眺め、迫りくる未来を夢想した。

 1977年、宮崎県日向市に「宮崎実験線」が開設され、リニアの本格的な実験が開始された。1979年には、最初の実験車両「ML-500」が無人走行で、世界最速の時速517キロを記録した。時代は平成へと進み、リニア開発を検討する委員会で、宮崎に代わる新しい実験線を山梨県に作ることが決定した。この時、なにかと世間を騒がせていたのが、山梨県選出の大物議員、防衛庁長官、建設大臣、自民党副総裁などを歴任した金丸信元衆議院議員である。リニア=金丸さんのイメージも強い。

 1997年には、山梨リニア実験線での走行試験がスタート。同時に、一般の人が実験の様子を見学できる「山梨県立リニア見学センター」が開設された。

 先日、この見学センターを訪れた。リニアの夢と並走しながら育った世代の割には、正直、リニアモーターカーの存在を忘れていた。だが、人伝にこのセンターの存在を知り、あまり期待もせず、甲府取材の合間に訪れてみたのである。

 JR中央本線の大月から富士急行に乗り換え、壬生(みぶ)駅下車、徒歩でひと山超えた広大な空き地にセンターはある。

 交通の便が悪いため、賢明な方々はクルマでのアクセスを計画する。だが、取材と称したひとり気まま旅のわたしは、撮影用機材などの入った重いバッグを肩に食い込ませながら、地図を頼りに駅から徒歩でセンターを目指した。途上、スマホのバッテリーが切れ、不安定な状態でノートパソコンからの電源で地図を読み、道を間違え、40分近く(通常は20分)かかりながらへとへとでたどり着いたときには、いったい自分が何をしに来たかも半分忘れていた。

 その思いが一変したのは、眼の前を時速500キロ近いスピードのリニアモーターカーが走り去った瞬間であった。カッコいい。目にも止まらぬ速さとはまさにこのことである。あまりの速さに目的地までひとっ飛び、相模原市民には悪いが、こりゃ中途半端な場所で停まる勢いじゃない、なんてひとりごちた。

 中層階建ての建物の側面からガラス越し(一部ベランダから)に一瞬の走行を眺める。日時によって違うが、約20~30分おきに「通過」が見られる。また、全長約43キロある実験線のどの地点にリニアがいるのかが、逐一電光掲示板に表示される。眺めてよし、撮ってよし、感じてよし。得難い体験である。

 たぶん、富士山観光あたりとセットなのであろう。館内は大勢の海外からの客人で賑わっていた。もちろん、日本人の子ども連れもいる。リニアの歴史や敷設ジオラマ、ミニリニアの体験コーナーなどが用意されていて、みんなの「夢想」に応えてくれる。

 リニアモーターカーによる中央新幹線の開業(品川~名古屋間)は2027年の予定だ。建設途上を眺めながら、人類の進歩とスピードを体感するというレアものの施設。山奥に潜む「リニアの基地」は、確実に男心をくすぐっている。

〜2018年10月発行『地域人』(大正大学出版会)に掲載したコラムを改訂

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見学センターから眺めるリニア実験線の風景。

【山梨県立リニア見学センター】 山梨県都留市小形山2381


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