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(第37回) 精神世界の六本木・天河大辨財天社

 奈良「天河大辨財天社」の宮司、柿坂神酒之祐氏はおもしろいことを言う。神主から観た神道の基本は「掃除」だという。掃除には終わりがない。やっと掃き終わったと思ったら木枯らしがそれを降り出しに戻す。掃けども掃けども常に状況は変わり、そこに完成はないけれど、無心で繰り返せば「晴天の青空」のような清々しさを感じることもできる。

「神主たちは毎日掃除をして、その掃除の気持ちよさを知っていただくだけでいいのだと。神殿でご祈祷するべきではないんだ。どうぞどうぞとご案内をして、どうぞお祈りくださいという神主が、天河の本体ではないだろうか。(中略)神主が、神を敬い、先祖を尊んでいくような、そういう精神力を持って対していく。また、音楽家は音楽家でやってきて、そこで奏でて、何か施しをして、そして巡拝していく人々と音楽家たちと融和していくというような、ガンジス河のサラスバティ(芸術・学問を司るヒンドゥー教の女神・弁財天)のような状況が、この山の中でできたらいいなと。そうしたら、世界中みんなが共存してやっていけるような状況になる」(『天河大辨財天社の宇宙』(柿坂神酒之祐、鎌田東二共著、春秋社)

 天河大辨財天社は長い間、奈良の秘境とも言うべき山中にひっそりと存在していた。だが、1981(昭和56)年の「開祖」をきっかけに、80年代後半、90年代、おおいに開いた。社殿の建て替えを祝し1989(平成元)年7月に行われた「正遷宮大祭」には、宮下富実夫、細野晴臣、長渕剛、ブライアン・イーノ、野村万之丞、喜多嶋修、喜納昌吉など、多数のアーティストたちにより、「能楽」や「神曲」が奉納された。

 細野晴臣は、天河大辨財天社を称して「精神世界の六本木」と言った(『観光』(中沢新一、細野晴臣共著、筑摩書房)。当時の「気分」を表した実に的確な言葉だ。

 私が社会に出た1980年代後半、70年代から徐々に進行していた精神世界に対する世界的な関心が幾度目かの熟成を迎え、「ニューエイジ」と称されるブームが生まれていた。「コンピュータと脳と宇宙、イルカとの会話、目に見えないもの、まだ解明されてないもの、来たるべき未来」、そんなものに夢中になり、深夜の六本木・青山ブックセンターに入り浸り、難解で割高な本を買い漁った。そんな折、私の耳に入っていたのが天河大辨財天社である。

 天河弁財天は奈良県の南部、奈良の中心部からもかなり行きにくい場所にある。桜で有名な吉野を中心にそこからさらに山間へと分け入ったいくつかのエリアを「奥吉野」として観光化する動きもあるが、国内をかなりの頻度で旅している私のような人間でさえ、(時間効率や旅程の面などを考えると)なかなか行く機会に恵まれない場所で、今回やっとの思いでたどり着いたというわけだ。

 それにしてもいまさらの訪問である。時代遅れではないのかと下を向く。

 宗教学者・鎌田東二氏によると、天河が「精神世界の六本木」へと至ったプロセスは、

(1)霊能者たちによる天河「発見」の時代
(2)アーティストたちの天河「感応」の時代(ニューエイジ・ブーム)
(3)若者たちの天河「探遊」の時代(映画『天河伝説殺人事件』)など、

 3つのステップがあったという。

 今回の私の初訪問はいったいどのような意味になるのか。拝殿には、(聞き及んでいた通り)幻想的な神曲が流れている。少女漫画家の美内すずえさんは、天河に来ると眠くなると語っていたそうだが、拝殿に差し込んでくる、やわらかい木漏れ日のなかにあるかのような浮遊感に身を任せていると、旅の途中のどうでもいい欲望や使命感が消え、深い眠りに堕ちていってしまいそうな感覚を味わう。

 天河はいまだ開かれている。自分自身の夢中になった思いがここに連なる。その思い入れは同世代の典型的なものではないのかもしれない。だが、いままでの自分を振り返ると、このニューエイジに「かぶれた」時期には意味があった。いま目の前に、30年前の思いに交差する旅がある。

〜2021年10月発行『地域人』(大正大学出版会)に掲載したコラムを改訂


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天河大辨財天社は背後にそびえる大峰山で修行した役行者が開祖とされている。


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撮影する場所ではない、ぜひ体感してほしい、そんな場所だ。

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