セシルが空を飛ぶ理由

フリーランスになって良かったと思うことがある。

自分のペースで仕事ができるので、空いた時間を自分の時間にしやすかったり、やりたいと思う仕事を自分で選択できる、というのが大きなところ。
小さなところで言えば、島田秀平の怪談youtubeを見ながら仕事ができること。

そんな、いくつかある良かったことの中でも心底『良かった』と思えるのが、朝晩の通勤ラッシュと無縁になったことである。年に何回も乗車しない満員電車に乗っていると、これこそが現代人を不幸にする諸悪の根源なのでは? と思ったりする。

顔の死んでいる人間しか乗車していない。
あの世に電車があったならこんな感じなのだろうか。

マスクでため息を打ち消しながらスマホでスケジュールを開く。朝イチの『劇場版 うたの☆プリンスさまっ♪ マジLOVEスターリッシュツアーズ 』には間に合いそうだ。

特典がコマフィルムになってからのチケット争奪戦は苛烈を極めた。月曜の午前8時台の上映だというのに、予約時点では満席である。

フリーランスになって良かったところがもうひとつできた。


「銀テを頼む」

事の発端はLINEで送られてきたこの一言だ。
友人から送られてきたコレを、私は『遺言』と呼んでいる。

毎週変わる特典が、今週は『銀テープ』(※ライブなどで降ってくるメッセージ入りのメッキテープ)らしい。推しのメッセージ入り銀テープをなんとか入手したい友人は、各所に遺言(LINE)と手付金(チケット代)をばら撒いているのだという。

うたプリに関しては名前と顔が一致するが、それ以外はあやふやだった。先ほどの遺言を含め、周囲に強烈なオタクがいるおかげで様々な情報が入ってくるものの、それが公式なのか非公式なのかわからない。

例えば、○○には暗い過去がある(これは公式だと思う)、○○と○○はぶつかり合っていた(これも公式だと思う)、○○と○○は付き合っている(これは非公式だと思う)、○○は私と結婚する(これは単なる願望)、というものだ。おそらく入ってくる情報の10%くらいが公式なのだろう。

時間を作ることができるし作品を知らないわけではないので、特典目当てで映画館に行くことにした。

スクリーンに向かう途中、エスカレーターに乗りながら特典を開封すると『緑色』が見えた。緑なんていたっけ? そんなことを思いながら座席につくと、周囲がもう一段暗くなり、うっすら聞こえてきていた会話もなくなった。

上映が終わり、客が退場していく。ハンカチで涙を拭っている人がいる。そんな様子を眺めながら、私は余韻に浸りすぎて立てずにいた。

地球の上で踊ったり地球が割れたり虹が出た。
モノクロの世界で化け物と戦っていた。
装置無しで空を飛んでいる人がいた。
汗や息遣いがこんなにも感情移入させる表現だとは知らなかった。

書きたいことが多すぎる。
『どこがどう良かった』ではなく、どれも全部が良かった。

年齢とともに弱くなる記憶力と戦いながら、特に印象に残ったことをサルベージする。

・ST☆R TOURS→ST☆RT OURSというタイトルの伏線回収
・アンコールのラスト曲がマジLOVE1000%

『STAR TOURS』というワードは今までに何度も目にしてきたはずなのに、その区切りを変えるだけで『ST☆RT OURS』になるとはまったく気が付かなかった。タイトルのそれに気付いた瞬間、上映中にも関わらず「それ、あっなるほどぉ…」と小声で呟いてしまったほどだ。

「あの曲はタイトル先行ですか? それとも楽曲先行ですか?」と、もし聞く機会があれば聞いてみたいほど感動してしまった。

そして『マジLOVE1000%』である。
この楽曲の良いところは、流れた瞬間に聞いていた当時を思い出すことだ。

12年前はまだ実家に住んでいた。
近所のゲーセンには画面に向かって踊るゲームが設置されていて、その中にこの曲が実装されていた。足繁く通い、密かにプレイしていた記憶がある。

振り返れば、100キロ超えのアラサーが汗だくで画面に向かって踊っていたのかと思うと震えるばかりだ。消したい過去のひとつでもある。

何はともあれ、あまりにも『満たされて』しまい、ぼんやりしながら帰宅をした。空腹すら消え去っていることにも気付けない。PCでうたプリの公式を見ながら、「銀テはセシルだったよ」と友人に送信した。

ちなみに、銀テ配布期間中に友人は『遺言』を含めて合計13回ほど搭乗したのだが、銀テ13個中8個がセシルという奇跡的な数字を叩き出して『☆☆☆☆☆☆☆(ひとりスターリッシュ)』を達成し、『13分の8セシル』という謎の数学的哲学を爆誕させた。


その後、友人や通っているメイド喫茶のメイドさんから『スタツアを100倍楽しく観る情報』を仕込まれた私は、また劇場へと足を運ぶことになる。一応の名目は『特典狙い』ではあるものの、次第に『聞いた小ネタを踏まえてもう一度観たい』と思うようになっていた。

情報のおかげで、初回では気付けなかった面白さを体感できた。
「レンと真斗がハート作ったとき、隣に座ってた女性が突然泣き出したこと」も「セシルがマジLOVE1000%でみんなを見て微笑むシーンの意味」も、いつの間にか理解できるようになっていた。

また、回を重ねるごとに観るポイントも変わっていく。
表情、楽曲、演出、ダンス、衣装……というのはもちろんだが、個人的にカメラワークとスイッチングにも注目してみたりした。

ここからは本当に単なる妄想なので『40にして不惑のおじさんが惑っているなぁ』程度に思ってほしい。妄想開始。

まずカメラ台数。
おそらく各個人+全景(四方)+ドローン(2-3台)+360°カメラ(ズーム機能あり)の合計15台前後が少なくとも存在していると思う。これならば何が起きてもこぼすことなく映像に乗せることができるだろう。しかし、撮影だけ出来ていても、それを上手にスイッチングする人がいなければ意味がない。

ちなみに、スイッチングというのは、すべてのカメラが映す映像を見ながら、これが最も映像としてふさわしいと思うカメラに切り替えていくことである。

今回のライブ、カメラマンとスイッチングのスタッフが超絶有能だったと思われる。なぜなら、メンバーの突発的なアクションも余すところなく観ることができているからだ。

ライブはナマモノなので、アクシデントを含め予想できない動きをすることもあるだろう。しかしカメラマンはその動きを予想してフレームに収めているし、スイッチングのスタッフはどれも逃さず映像を切り替えている。おそらくメンバーをよく知る、古くから関わっているスタッフたちなのだろうと思う。裏方にも愛されるST☆RISHである。

また、エンドロールでバックステージやスチール撮影、リハーサルの様子などが映されるので、ドキュメンタリーのクルーもいるだろう。Netflixやアマプラで放映を予定しているのかもしれない。妄想終了。

観るたびに新たな発見があり、そのシーンの意味を知ることができ、加速度的に面白く感じられるようになっていった。しかし、それと同時に、このライブを真の意味で100%楽しむことができないかも知れない、という寂しさも味わうことになる。

これが12年の重みだ。

もちろん現状でも100%面白い。それは断言できる。
しかし、12年前から見続けていて、これから先も見届けようという人たちはもっと楽しんでいるはずだ。だからこそみんな嬉々として小ネタを私に仕込んでくれたのだ。

そんなみんなをうらやましく思いながら、私は搭乗機会を重ねていった。


奇跡的に取ることができた朝イチの上映回。最上段の端の席。やっぱりというかなんというか、予約時点では満席だったにも関わらず埋まり具合は7割ほど。いわゆる転売ヤーなのか、朝イチだから来られなかったのかはわからない。

思えば劇場で同じ映画を複数回観たのはこれが初めてかもしれない。今日もまた彼らはそれぞれのプライベートジェットに乗り込み、マイクを握りライブ会場へと降り立ってゆく。

次に彼らが何を歌って何を話して、どのようにこのライブが終演となるかはわかっている。わかっている、つもりだった。

ふと視界の端にぼんやりとオレンジ色の光が揺れているのを見つける。子供の頃、親に連れられ帰省した際に見たホタルのような光。よく見ればオレンジだけでなく、赤も黄も緑も青も紫もピンクも揺れていた。

急いで取ったチケットはどうやら無発声応援上映だったらしい。以前、プラチナシートで観た時も応援上映だったが、シートの位置が2階席だったためその様子はわからなかった。単純に「綺麗だな」と思った。

映像とリンクしてペンライトの色が変わっていく。客席のみんながそれぞれに割り当てられた領域を出ないように注意しながらペンライトを振っている。人によって振り方もちょっと違ったりするんだな、と思いながらオレンジから徐々に緑へと変わる光を視界にとらえつつスクリーンに目を移す。

このあとセシルは空を飛ぶのだが(何を言ってるかわからない人もいるかもしれませんが、空を飛びます)、その理由だけがいまだにわかっていない。てっきり「演出上ワイヤーなどを描いていないだけ」だと思っていたが、聞くとそうではないらしい。

「なんで空を飛べるの?」とオタクに聞いても「魔法が使えるからね」と「人は呼吸をしないと生きていけません」くらい常識的なこと、と言わんばかりの目でこちらを見てくる。なので、その部分だけは『魔法』というファンタジー要素として処理していたのだが、今回の応援上映で飛べる理由がわかった。

セシルが飛ぶ瞬間、ペンライトの光が下から煽るような動きになったのだ。

客席のみんながセシルを飛ばしていた。冷静に考えたらそんなことはないのだが、この時ばかりはそれがやけに沁みてしまい鼻の奥がツンとした。

思えばこの映画をいつの間にかライブと言っていた。これは周囲のオタクがそう言っていたことに影響されたというのもあるが、観た上で「これはたしかにライブだ」と思ったからそう言うようになったのだと思う。

ライブは映画と違う。一方通行ではないのだ。

演者が起こす一挙手一投足に観客は反応して、その反応を見て演者はリアクションをする。ユニット曲が終わり、ST☆RT OURSが流れ始める。観客とスクリーンの中の観客がリンクする。ライブの完成度が一気に上がったように思えた。

『始まりをくれた君に 僕たちはどうやって返せばいい』

人は誰かを信じて生きていきたい。
だから「みんなで」とか「一緒に」なんて言葉を勝手に信じて、勝手に裏切られて、勝手に落ち込んだりする。このライブでもその言葉が何度か出てきた。幾度もそんな経験をしたというのに、なぜか今日は信じられる気がする。

『始まりをくれた君に 僕たちはこうやって返してゆく』

その答えがこの一節にあった。
願いでも祈りでも希望でもなく、これは明確な決意だ。
だから「みんなで」「一緒に」創り上げていくことに迷いがない。迷いがないから信じられるし、信じたくなる。

いつの間にか前のめりになっていた姿勢を戻し、シートに背を沈める。
ポップコーンは半分も減ってなくて、アイスコーヒーのカップは結露で濡れていた。

始まりの歌でライブが終わっていく。
ライブが終われば日常が始まる。


外に出るとビル風が強くてよろけてしまった。四方八方から迫り来るサラリーマンを避けながら駅へと向かう途中、マスクの中で『ST☆RT OURS』を口ずさんでいる自分に気付く。

数年前、『レディプレイヤー1』という映画が上映された。
近未来、仮想空間でアバターを用いてゲーム内に隠された宝を見つける、というストーリーだ。劇中、登場人物が使用するアバターはガンダムだったりゴジラだったりと、オタクにとっては馴染みあるもので、その散りばめられた小ネタを見つけるのがとても楽しい映画だった。

映画を観ながら、オタクであった今までが報われた気がした。別に報われるためにオタクをやっているわけでもないのだが、小ネタを拾い上げるたびにスピルバーグが耳元で「なあオタクで良かったろ?」と囁くのだ。

スタツアも、もしかしたらそんな映画なのかもしれない。
追い続けてくれた人たち、これからも追い続けてくれる人たちへ「こうやって返してゆく」という制作陣のメッセージなのではないだろうか。

これから先、うたプリファンは誰にどうこう言われることがあっても、「まあウチらにはスタツアあるんで」と胸を張って言えるコンテンツだ。。

いつか応援上映が発声OKになる日が来たら、それがいつになっても良いのでアンコール上映をしてほしい。

先ほども書いたが、いまのままでも100%楽しめる。しかし、みんなの伝えたい気持ちを声に乗せ、スクリーンのその先に届く瞬間を目の当たりにしたいという気持ちが強い。

100%のLIVEが1000%のLOVEになるのは、もしかしたらその日なのかもしれない。


余談。
おじさんはたぶん神宮寺レンにハマる率が高いと思う。
フリや言動が絶妙にベタで、なんだかちょっと懐かしさすら覚える。

あと、彼のシャツにはボタンという概念が存在していないのも気になってしまうポイントだ。開襟というには大胆すぎる。ライブが終わりに近づくにつれ、ボタンが徐々に留まっていくことを発見したので、体力メーター的な役割もあるのかもしれない。

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