都知事の蔓延防止申請への大学生の反発を受けて

こんにちは。本日より僕が所属する中央大学法学部法律学科でも講義がスタートしました。その前日、小池都知事が蔓延防止申請をしたそうで。それに対する大学生の反発があちこちで起こっているようです。今日はそれについて僕が思ったことを綴ろうかなと思います。あくまで個人的見解でしかないので、僕の考えを押し付けるつもりはありません。「こいつはこう考えてんのねぇ」程度で読んでいただけるとありがたいです。

単刀直入に言うと、蔓延防止申請への反発に対し、「別に蔓延防止申請しても問題なさそうだと思うけど」というのが僕の意見です。政治家は会食とかしてるのに何でこっちにはオンライン講義を要求するんだおかしいだろ、との反発があるようですが、これについては「それ国会議員に対していうならまだしも、その文句都知事に言うのは筋違いでは?」との感想。いやだって都と国会とでコロナ対策に温度差があるのはこの一年間を見てきたなら明らかなことだと思いません?都は都民が感染しないように、医療従事者への負担を減らすべく自粛を重視している一方、国としては自粛したら経済が停滞するからコロナ対策は都ほど積極的ではないじゃないですか。それに菅総理自身「私はもう解除の段階まで来ていると思っている」旨の発言を国会で緊急事態宣言を延長するにあたって言ってたでしょ?考慮事項をどの程度考慮し、重視するかの割合の違いでしかないし、そもそも都知事に帰責性ある行動が報じられているわけではないですし。そりゃ一見すると国会贔屓になるだろ!と思わるかもしれないけど東京都って結局国会があるから都はあまり強く動けないんだと思います。実際のところ安倍前総理と現都知事で結構コロナ対策でやり合ってたらしいですし。んで都と国では対策に温度差があるし。だから国を説得する必要があるとのことで申請したんだと思います。僕は別に都知事の肩を持つわけではありませんのでそこは誤解なきよう。あくまで僕自身が「それは問題ないんじゃないの?」や「それはやばいんじゃないの?」を判断しこのnoteを使って発信してるだけです。

それともう一つ。この記事を書くきっかけとなったのは、Twitterで「小池ぶっ殺す、死ね」って旨のツイートしてる人がいて(僕のフォロワーだったんだけど、「こいつ危ないなぁ」と思ってブロックしました。)、他にも同じ大学で「大学生の生活を奪うな!」とかいうツイートもあったんですよね。僕自身、オンライン講義でも法律の学習は出来るし、誰かと話とかしたいならLINE電話使えば良くね?何もわざわざ対面してまで会う必要があるのかなぁ?と思っています。それは、皆さんはただ生きてるだけで他人に受けりれられて集団の中で生きて安堵できるかもしれないけど、僕自身が嫌われがちな傾向故に人とコミュニケーションを対面形態でとれることがほとんどないしボッチでいることが一日の大部分(家族といる時はさすがに除くけど)を占めてるから、本当に深い付き合いをできる人としかコミュニケーションをとれないという恐怖と不安に似た感情を持ってるからなのかもしれませんが。まぁ、このツイートを機に「大学生の生活」ってなんだろうな、って考えるようになったのは事実ではあります。これも僕自身の見解だから話半分で読んでほしいんだけど、大学ってのは学問的研究するための場であって友人作りの場ではないと思ってます。高校とかだったらまだ『大学進学』という目的で勉強できたかもしれないけど、じゃあ大学進学したら貴方の学習活動は終わりなんですか?って。勝手に決めつけてるところがあるから違うなら違うって言ってほしいけど、僕の高校時代の知り合いって就職のための通過点として大学進学を決める人が多い気がする。んで、学歴社会だからできるだけレベルの高い大学に行っとこう、みたいな人が結構いたんじゃないかな。いや、最初から就職で有利だから、とかではなかったとしても、高学歴=社会で通用する、という理由(短絡思考だなぁと思うけど)で大学進学を決めてるんだろうなぁ、という僕の偏見はあります。勿論、医者になるために医学を学びたい、物理学を学ぶために物理学部に行きたい、心理学学んで臨床心理士になりたいから心理学部行きたい、と大学で何がしたいかを明確に持っていて、それに従って進学した人も僕の知り合いにはたくさんいます。んで結局何が言いたいかというと、大学ってのは学びたいものを学ぶ場であるなら、授業形態がオンラインになろうが学ぶべきことには変わらない以上、オンラインになったって問題ないだろってこと。僕はそれが大学に行く意義だと思ってるし(僕の場合は司法試験から法曹、というのもあるけど。でも法律勉強して良かったとは本気で思ってる。)、友達できないから対面にしろってのは、現状には合わない気がしなくもない。そもそもTwitterとかでは大学のサークル等でLINEのグループとか紹介されてるでしょ。それ使ってコミュニケーション取れれりゃ十分じゃん。まぁ、部活動は集まるしかないから、活動する場合仕方ないけど。けどねぇ。それは申請の内容であるオンライン授業とは別物だし。そもそも友達作りのために大学進学するくらいなら大学なんて進学するなよ、とまで激情的一面が顔出したらその俺なら言いかねないしね。友達作りで学校行くのは義務教育期間の中学までにしとけ。とまで言いそう(-_-;)なんか、Twitterとnoteを使いはじめて数か月しかたってないけど、皆さんSNSの使い方に縛られてないか?とつくづく思う。学問的研究を同期としたいなら、LINE交換してグループ作って勉強会でもやればいいし。ZOOMも40分なら無料で使えるんだからさ、それ使っても十分できるでしょうよ。対面の代替手段なんて、通信技術が発達した日本では(世界規模では日本はデジタル戦争に敗北しましたけど)いくらでも見つかるんですよ。実際筑波大学では自主ゼミやって大学一年の時から量子力学の研究とかやってるみたいですし。全部が全部出来なくなったわけではないなら、俺らがどうにかして学びの場だったり、話の場を作ったりすればいいだけであって、それもやろうとせずにピーピーキャーキャーいうのは少し甘え過ぎでは?と思ってます。質問とかあるなら、オンライン授業ならメールでできるし。どちらにしても大学行ってるなら自分から学びに行くべきというか大学って本来そういう組織だからね?それに仲間とつながりたいなら、それこそTwitterとかInstagram、LINEの出番でしょ。地理的欠点をカバーしてくれた通信技術をこういうところで使わなないなら、なんのためにSNSをやってるの?と思う。呟くため?なに?SNSの意義ってそんな薄っぺらいもんなんすか?えwwマジって嘲笑してる。本来の使い方以外にも使い道あるなら、その方法で使ってみるのも十分ありだと思うけどね。

で、さっきの反発のツイートに戻るけど、こういった反発って、ただ不満を述べただけで、何にもならんのよね。ただの誹謗中傷、不満の垂れ流し。これで一体どうなるってのさ。ただただ提案に対して不満行って創造活動を破壊するだけでなにもしないというのもどうかと思うけどね。勿論社会的政策については行政の方が専門技術的判断に優れるって理由で行政庁に広範な裁量が認められてるけど、あくまで国家の主体は国民である以上、選挙してはい終わりってなってしまってる今の国民の現状にも問題があると僕は考えている。批判・破壊をするなら建設的にしないと。ああ言えばこう言うだけではいつまでたってもなにもactionが起こせない。提案するのが行政で「いやだいやだ」と言ってるだけの国民ってなんか、ねぇ。国民主権のへったくりもないのでは?と思う。選挙する云々かんぬんの前に、不満があるなら署名活動してそれを提出するとかそういうった活動もしないといけないのではないかと思う。上層部に反発して俺らも同じようにしてやる言って馬鹿やって痛い目にみるとかそれこそバカだと思う。正攻法で、かつ建設的に破壊しないと何にもならない。もしかしたら、コロナが終息しないのは自らは行動しないくせに文句ばかり垂れるという日本人の本質的欠点に由来してるのかもしれない。

なんてことを思っていました。

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