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他空派の宗論④

仏教テキストの中で
「基」という言葉は頻繁に使われるけれど、
我々はその度に
文脈から最適な意味をくみ取らなければならない。

[基のさまざまな説明]

「基」という言葉に対して
本項では六つの説明がなされる。

①『倶舎論(くしゃろん)』は世親著。
パーリ語法統、
説一切有部の主張を説明したテキストである。

『倶舎論(くしゃろん)』より、「色などの五蘊は、まさしくそれらにおいて話の基であり」などによって、色などの五蘊に含まれた諸々の有為の法(現象)は、話のもとである面から「基である」と説かれたことと、

「色などの五蘊(ごうん)」より、
「蘊」とは集積のこと。

色蘊(形あるものの集積)
受蘊(感受作用の集積)
想蘊(識別作用の集積)
行蘊(他の四蘊以外の集積)
識蘊(意識等、知覚の主体的部分の集積)で、

我々を構成している
五の構成要素の集まりを「五蘊」という。

「有為(うい)」とは、
原因や条件から起こったもの。

我々を構成する五蘊に集約される
原因や条件から起こったものごとは、
話のもとになる故に、
「基」といわれる。

②『現観荘厳論(げんかんしょうごんろん)』は
弥勒の教えを無着が人語に書き起こした論書。

『現観荘厳論(げんかんしょうごんろん)』より、「それからまさしく一切知」などによって、蘊・界に含まれた諸々の現象は、性質のよりどころである主体である面から「基である」と説かれたことと、

「蘊」は上記と同じ。

「界」は六界、あるいは十八界を表し、
六界は、地・水・火・風・識・虚空。

十八界は、
対象の色・声・香・味・触感・現象の六と
感覚器官の目・耳・鼻・舌・身体・意識の六と
知覚の眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六を足して、合計十八界。

これらの分類に当てはまるものごとは、
それぞれの性質が宿る拠り所(もと)であるが故に、
「基」といわれる。

③阿毘達磨経(あびだつまきょう)とは、
般若(智慧)の教えを主に示す経典のこと。
その解説の一つが、
無着が著した『摂大乗論(しょうだいじょうろん)』。

『阿毘達磨経(あびだつまきょう)』より、「無始の時をもつ界」などのテキストの意味を『摂大乗論(しょうだいじょうろん)』に説かれたごとくであれば、アラヤ識は善不善の全ての習気が沁みつく基、よりどころである面から「基である」と説かれたことと、

唯識派で説かれる「アラヤ識」とは、
彼らの説く八識(八種類の知覚)の一つで、
輪廻転生を繰り返す
最も基底にある微細な意識である。

八識とは、
眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六識に、
末那識(まなしき: 煩悩の意識)と
阿頼耶識(あらやしき: 全ての基になる意識)
のニ識を加えたもので、

これら八種の知覚の中
最も安定したアラヤ識は
前世、今世、来世と続いていく意識で、

善いカルマ、悪いカルマの行為が終わっても
そのエネルギーが潜在的に残るよりどころ
(習気のしみ込むところ、もと)
となる故に、
「基」といわれる。

「アラヤ識にカルマの種(習気)が潜在的に残るので、前世のカルマが今生で実ることが可能になる」という説明の仕方である。

④『量評釈(りょうひょうしゃく)』は
法称が著した論理学テキストである。

『量評釈(りょうひょうしゃく)』より、「符号の部分である思考者が、欲す通りに(解釈)する基」などによって、諸々の現象は言葉によって述べられる対象である面から「基である」と説かれたことと、

符号とは、
言葉やしるしを特定の意味として
同じように認識する複数の者がいて、
はじめて成りたつ。

故に、
符号を見て意味をうけとる思考者は、
符号が成りたつ時に
その部分となる。

そして思考者は、
自分の経験や考え、欲することをもとにして
符号の意味を解釈する。

ここでの「符号」には、
他者に意味を伝えるための言葉、身振り、印等、全てが含まれる。

言葉と
言葉によって述べられる対象は
一緒に成立しているが、

言葉で述べられる対象は、
言葉の「もと」ともいえる。

故に、どんなものごとも
言葉で述べられる対象となりうるので、
「基」といわれる。

他にも、それから枝が生える根もとを「基」といい、
分類されたものごとの分かれたもとを「基」というなど、多くある。

他にも、
⑤根もとの意味で使われる「基」
⑥分類されるもとの意味で使われる「基」など、
「基」にはいろいろな解釈がある。


どれを取ろうか迷いそうだが、
以降のテキストでは
「究極の基とは何か?」が説かれる。

乞うご期待。

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