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他空派の宗論⑦

第四項[基である如来蔵そのものが、九定義を具えると示す]において、[肯定的定義][否定的定義][共通の定義]の三より、

第一項[肯定的定義]は、まさしく如来蔵そのものは、恒常・安定堅固・寂静・永久不変である面から、恒常であると示され、
如来蔵そのものは、輪廻と涅槃全てにいきわたり、場所と時間の部分から離れ、近い遠いの偏りに落ちることなく、全ての法(現象)の命根であり守護としておられる面から、全てに遍満すると示され、

一般にその法性は、ンゴ訳経官は空性は絶対的否定であると主張し、プトゥンはアラヤであると主張したように不合致はあるものの、『大乗究竟一乗宝性論』より「蜂蜜に似たこの種と界をご覧になり」や、「身体を持つものにある無漏の知覚は、蜂の蜜に似て」などと説かれたように、自派において、聖者の、おのおのが自覚するとなった主客二元から離れた心は、本性として光明の智慧であると承認している故に、如来蔵そのものは、おのおのが自覚するものであると示され、
『吉祥荘厳経』より、「分かれることなき、不可思議な、ガンジス河の砂(の数)を超越した仏陀の法を具えた如来の法身であると示し」などや、

『涅槃経』より、「種姓の子よ。如来の十力と」から「無量で果てしなきものを得て、そのようなものである法は、如来仏陀の本性である。」などや、
『大乗究竟一乗宝性論』より、「光明は行為するものではなく、分かれることなく 入るものであり、ガンジス河の塵を超越した仏陀の 諸々の全ての法が、まさしく具わっている。」などや、
『金剛摂経?』より、「あなたは三有より超越しようとも三有の様相をもつ。微塵の法(現象)と離れようとも静動全ての色形である。」などによって、法界の澄んだ智慧は全ての様相をもつと示されたように、一般に、全ての様相をもつ仏陀の法界については論争がない。
仏陀のその法界と、基となっている有情の法界の二つともが不別である理由によって、有情のその法界も存在するもの全ての勝義の様相を捉えている面から、それ(有情の法界)も全ての様相をもつものであると示され、(肯定的定義は)四ある。

[肯定的定義]とは、
「〜があります」という定義。
[否定的定義]とは、
「〜がありません」という定義である。
[共通の定義]とは、
肯定と否定の両方に当てはまる定義ということで、
ここでの「定義」は、
性質の意味ともとれる。

①恒常である
②全てに遍満する
③ おのおのが自覚する
④全ての様相をもつ

これらが、「ある」面から説かれる
如来蔵(法界)の定義である。

「三有」は、地下・地面・上空
の三に当てられたり、

生有(生まれる時の輪廻)
死有(死ぬ時の輪廻)
中有(死んでから生まれ変わるまでの輪廻)
の三に当てられたりする。

「微塵の法(現象)」とは、
微塵(極小構成元素)が集まって形作られた現象で、
形あるものを指す。

仏陀の如来蔵(法界)と
有情(仏陀ではない者)にある如来蔵は、
別のものではない。

それ故に、
仏陀の如来蔵が全ての様相をもつように
有情の如来蔵も全ての様相をもつ。

仏陀と有情の如来蔵両方が、
存在するもの全ての勝義の様相を
捉えているのである。

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