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菩提心の称賛《宝珠の灯》第78偈

78)大乗の幾らかは、菩提心の
本質、幾らかは原因、幾らかは結果であり、
それ故にも、菩提心は、
大乗であると説かれたのかと思う。
 
 
四行目は、
「大乗者に説かれたのかと思う。」
とも訳せる。
 
「大乗」とは何かと訊かれると、
一瞬言葉に詰まる。
 
それは仏教修行者の分類で、
小乗に対して使われる言葉だけれど、
 
実際何なのだと考えると、
教えのことなのか、
修行者の心の様相のことなのか、
あるいは顕現した心理作用ではなく、潜在的な姿勢となっているものなのか。
 
指を指して「これ」ということができない。
 
いろいろな視点が集まって「大乗」と見なされているから、
 
その本質は菩提心ということもできるし、
 
菩提心が起こる原因の教えともいえるし、
 
菩提心を通した修行の結果である仏地を、
大乗ということもできる。
 
大乗の修行に含まれる布施をする行為は、
心ではないので、
大乗総体が菩提心であるのかといえば、
そうではないともいえる。
 
それでも、全ての方向から見て、
大乗は菩提心の礎の上に立つ。
 
「それ故にも、菩提心は、
大乗であると説かれたのかと思う。」

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