第九話 「十河いじめ」の真意

 現場を知らずに鉄道を語るなかれ。

 後藤新平は、徹底した現場第一主義者で、新人法学士たちに長期の現場見習いを義務づけた。
 ノブの見習い実習地は、信州長野である。
 ところが、まるでお客さん扱い。到着早々、現地の上役に連れ回され、善光寺詣でや上杉謙信ゆかりの名所旧跡巡りをさせられる。
 鉄道のテの字も、触れさせてくれない。嫌気のさしたノブは、たったの二日間で東京に帰ってしまった。
 さっそく後藤新平総裁に怒鳴りつけられる。
「大馬鹿野郎! 規則に反するぞ!」 
「私は最高学府の卒業生であります。高文試験準備のために数か月の有給休暇をいただき、さらに見習いと称し、現場の迷惑も省みず、半年もぶらぶらするなど無用の特権です。それよりも私に仕事をください。一、二日教えていただければ、人並みに働いてみせます。それで役に立たぬようなら馘を切ってください」
「……自惚れめ」
 と、後藤がニヤリと笑う。
「……では、どんなことでもやり通すか」
「やり通してみせます!」
「では、人のいやがる仕事をしろ。人のいやがる仕事こそ、本当の仕事だ。会計課に行け」
 こうしてノブは、経理局会計課員となった。異例の人事である。金勘定は新人法学士仲間の間でももっとも敬遠されていた。とはいえお客さん扱いされて遊んでいるよりはましだろうと言い聞かせて、さっそく辞令を手に、係長、課長に挨拶をすると、
「君には当分、担当業務はない。どこでも空いてる椅子に座って、新聞でも読んでいたまえ」
 と、また干された。
 全国十七の民鉄が統合されて、まだ日が浅い。古巣の会社ごとに派閥が作られて、各所で足を引っ張り合う。会計課の上司も民鉄出身者で、新人法学士の面倒をあえてみる理由に乏しいのだろう……とノブも当初は、自分に言い聞かせた。
 だが、本当は、後藤が命じた。

ここから先は

3,952字

¥ 100