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デレラの読書録:宇佐見りん『かか』


『かか』
宇佐見りん,2022年,河出文庫

圧倒的な語りである。

独特な口語文体は、書かれた文字であるにもかかわらず、これは「肉声」なのではないか、と読者を戸惑わせるだろう。

また、口語文体は、孤独を表現している。

主人公のうーちゃんが、弟を「おまい」と呼ぶとき、うーちゃんの孤独は確立する。

なぜうーちゃんは孤独なのか。

それは、表題にもある通り「かか(=母)」との関係による。

生活のなかで、「かか」の実存が、「母」という神聖な(形而上学的な、神学的な、つまり母は創造の神である)存在を上書きしたとき、うーちゃんの「母」への信仰はガラガラと崩れ去る。

端的に言えば、理想の「母」と、現実の「母」のギャップであり、その両方に感情移入(信仰)してしまったうーちゃんは不安を抱え、その不安を共有する人は居らず、ひとり孤独に陥るのである。

わたしたちは、不安を他人と共有できない時に、孤独に直面する。

うーちゃんの孤独は「理想の母は死んだ(しかし現実の母は生きている)」ことによる不安を共有出来ないことから生じている。

信仰を取り戻すために、うーちゃんは旅に出る。

熊野詣での旅である。

うーちゃんは、「母」の神聖を取り戻すべく、旅に出る。

しかし現実(形而下)の偶然性が、うーちゃんを神秘的な、神学的な、超越的な体験から引き剥がす。

現実へと引き戻される。

現実とのつながり、「へそ」という痕跡。

われわれは現実に生きざるを得ない。

孤独の原点にして、本質を本書は描いているのではないか。


観念論的な物語であるが、男性であるわたしは母になることはこの先ありそうにないので、おそらくこの作品に対しての印象はずっと観念論のままだろう。

しかし、実際にこれから現実の母となるひと、あるいは、すでに現実に母であるひとがこの物語を読んだとしたら、わたしの観念論的な感想とは全く違う感想を抱くのではないか。

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