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デレラの読書録:フランク・ハーバート『デューン砂漠の救世主』


『デューン砂漠の救世主』
フランク・ハーバート,酒井昭伸訳,2023年(新訳),早川書房

砂の惑星アラキスを中心に描かれるSF大河小説デューンの第二巻。

第一巻で、ハルコンネン家の陰謀に打ち勝ち、帝座に着いた主人公ポール・アトレイデス皇帝の統治から12年。

帝王となったポールの運命の物語である。

ポールが帝座についたのは、もとは砂の惑星アラキスをめぐる覇権争いのなかで、一度は全てを失ったポールが、原住民族であるフレメンと共闘してハルコンネンおよび皇帝を打倒することの延長線上にあった。

聖戦に勝利したポール陣営は、巨大な統治機構を有し、他の星々を侵略統治した。

圧倒的な最高権力を手にしたポールは恐怖と圧政により宇宙を支配する。

従者は生ける伝説のポールを狂信し、統治機構は腐敗する。

かつては救世主だった人間が、いつの日か独裁者に変貌する。

この『デューン』が大河物語である所以である。

革命が実現した後に生じる現実をわたしたちは知っている。

第一巻でポールの伝説を目撃した読者は、冒頭から冷や水を浴びせられることになる。

ポール統治下で死刑囚のとなった歴史家が、ポールを批判するシーンから始まるからだ。

また、ポールの統治の比喩として、現実の歴史上に起きた悲惨な出来事が持ち出され、ポールの独裁者ぶりが表現される。

作者であるフランク・ハーバートは、ポールを正義のヒーローとして描かなかった。

むしろ自分が成りたくもない独裁者になってしまったことに憤り、その運命に抵抗し、そこから解放されることを望む。

その抵抗の先に待ち受ける悲しみを知りながらポールはその全体を受け入れていく。

運命の受け入れ。

救世主による聖戦のような、伝説的な出来事を生に体験した人は、人類の歴史が動く運命的な瞬間に立ち会ったのだと感じるだろう。

まるで自然がそれを求めていたのだと。

しかし、宇宙の規模、惑星の誕生と死、宇宙創世記的な視点からすれば、そんな革命=聖戦は一瞬の小さな出来事に過ぎない。

月が墜ちる幻視を見た、とポールは言う。

月の墜落、この表現は宇宙規模の運命と自らの運命を比較した表現ではないだろうか。

ポールは自らの破滅を予期し、その運命全体を受け入れていく。

独裁と狂信の運命から解放されるために、運命を受け入れる。

運命から逃れるために運命を受け入れるという矛盾。

この矛盾的な態度は、ある意味では無責任な態度に見えるかもしれない。

しかし、同時に自らの運命に対しては全身全霊で責任を取る態度でもある。

“(肉体は、最後には降参する)とポールは思った。(永遠はみずからの失地を取りもどす。われわれの肉体は永遠という水をほんの一瞬だけ掻き乱し、生への執着と自己愛のもと、それなりに陶酔して舞い踊り、多少の奇妙な観念と闘ったのち、〈時〉の持つさまざまな道具に屈伏する。それについて、われわれになにがいえるだろう。われ在り? いや、過去形にするにはまだ早い。それでも…われ在り、というほかないのだろう)”

(p.271-272)

永遠のなかでは、「われ」はあまりに小さい出来事だ。

しかれども、ポールは、「われ在り」と言うのだ。

ある種の諦念であり、抵抗であり、受け入れである。


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