短編恋愛小説【あの日の君に あの日の僕は】

17年くらい前に書き上げた作品になります。

桜の咲き乱れる季節が、僕の働く場所をとても鮮やかに優しく包んでくれていた。
福祉施設で働いていた僕は、まだ入社して数ヵ月の新人介助員だった。

この老人ホームで思いやりという武器を引っさげて日々悪戦苦闘しながらも、ここで暮らすお年寄りたちに介助員という立場を超えて、一人の人間として平等に接していた。

ある日、未来の寮母さんを目指す実習生たちが、卒業を目前に控え、研修の一貫として実際の現場を学びに訪れた。


そんなにぎやかさとは別に、君はひとり途中採用の実技面接のために、僕の働く職場にやってきた。

背は小さいけれど飛びっきりの可愛らしさが、とても印象的だった。
まるでヘビー級チャンピオンのストレートを手加減なしに喰らったような、死なずにすんだのが奇跡なほどの衝撃を、僕は胸に味わった。

そんな細く小さな身体で寝たきりのおばあちゃんを車椅子に乗せてあげられるの?
君よりかなり大きなおじいちゃんを入浴介助してあげられるの?


ここで生活する老人たちより君のことが心配になった。

特別な苗字と素晴らしい名前。
たった一日の実技試験で、君は稀な難病を持病として抱えていたことが理由で採用にはならなかった。


でも僕のハートは君の姿やその仕草、その笑顔に一目惚れってやつだった。

どうしても君に会いたくなった。


そんな僕の気持ちに神様からのプレゼントが、天使の翼みたいにふわりと降りてきた。


実技面接の日、僕はタイムカードを押す君を、偶然じゃなく、君の名前を知りたいという思いでそっとあとから見ていた。

電話帳を広げて片っ端から探した。
誰も知らない君への想い。君さえ知らない僕の想い。

なんだかんだで福祉施設を退職することになった僕は、プータローの日々の最中、車で君の家を探した。


思いきって四件目。
君にたどり着いた。
勇気ってやつはとても重要で、その勇気からの行動が思いがけない出来事を与えてくれるものだと、僕はこの時に悟った。

そして大切なものを手に入れるためには、勇気の連続が必要だと同時に思い知らされた。
その結果、神様からさっそく二度目のプレゼントだ。

僕は救われた。
野球に例えるなら、ノーアウトフルベースのピンチに登板して三者三振を奪った気分。
君が僕を覚えていてくれた。

覚えている、覚えていない・・・。
これが結構、重要なんだ。
しかも突然の訪問を笑顔であっさり受け入れてくれた。


七年が経過した今も、色褪せることなく鮮明に覚えている。
僕の願いを二つ返事でOKし、友達付き合いをしてくれた君・・・。

こんなに簡単に願いが叶っていいのかとさえ思った。


でも寂しいことがひとつだけあった。
友達だからとか恋人としてとかじゃなく、君は人生の覚悟を決めていて、自分自身の抱えている問題を会ってまもない僕に話した。


君はひじょうに稀な病気を背負って生きていた。

そのときの僕は、その病気の重大な意味を知らなかった。
君を守っていく未来を考える認識よりも、目の前にあるデートの約束に浮かれ、幸せの絶頂のなかに居た。


デートの日までカレンダーの日付けを塗りつぶしていったり、待ち遠しくて眠れぬ夜を布団のなかで懸命に羊を数えてやり過ごしたり・・・。

そしてデートの当日。
かなり早めの時間に君の家を目指して僕は車を走らせた。


僕は運が良かった。
たまたまか、調子のいい僕ならではか、神様から三度目のプレゼント。
デートのシナリオに必要不可欠な条件ーーー快晴。
その日は本当に気持ちのいい天気だった。

君の家に電話をすると親が出た。
少し緊張して固くなってしまったが、すぐに代わってくれてから君の声が聞こえた。


その明るい可愛い声に吸い込まれそうな気持ちで、ハンドル片手に電話をしながら君のもとへ走った。

ラフな格好と無邪気な笑顔の君が助手席に座った。
可愛い君を乗せて街を走れる僕は、世界一の幸せ者だと思った。


最初のデートは誰だってそうだろう。
すべてが満たされた気持ちってこういう精神状態なんだろうと、結構冷静に受け止められた。

どこに行きたいって聞いたら、君の答えは『どこでもいいよ』
そんな返答も予測してシナリオを決めていた僕は少しも慌てず、目的地の動物園に向けてハンドルを切った。


およそ一時間半の道のり。
会話が途切れて気まずくなってはいけないと思い、流行の曲を詰め込んだカセットテープをたくさん積んでおいた。


カセットテープにダビングされたミュージシャンの曲たちは、主役を引き立たせる名脇役を見事にこなしてくれた。
僕らの会話は車内に流れるメロディーに乗って弾みをつけ、あっという間に動物園に到着した。

背の小さい君。
それは病気の影響からくる発育障害。
何も知らない周囲の人たち。


なかには『小学生じゃないの?』とでも言いたげな、無遠慮で奇異な目を向けてくる人も居た。
僕らを違和感なく見ていたのは青空と動物たちだけに思えた。

でも僕は気にならなかった。
とびっきり最高に可愛い君と肩を並べて、同じ歩幅で歩けるのだから。


楽しい時間はいつだって足早に過ぎていく。
君は大人ではあるけれど病気を抱えている。

暗くなる前に家まで送らないと、両親が心配するだろう。
早めに家まで送ると約束して、次の目的地のカラオケ店に向かった。


そのとき、早くも次に会う約束というかお願いもしていた。

カラオケ店では楽しさなんかそっちのけで、お互いに思いの丈をすべてぶつけるように交代で熱唱した。
今思い出すと確かに楽しかったのだけれど、何故か哀しく思えてならない。

君の病気を理解せず、僕の身勝手を押しつけてしまったこの恋は、気ままに通過していった大型台風のようだった。


過ぎ去ったあとの心の想いは、清々しくすべてを洗い流していたのだから。

何度か会って過ごした大切な君との日々は、破ることが出来ずに最後まで残った一枚の写真を破ったことで終わってしまった。


今でも元気に生きていてほしいと願っている。

君と出会った福祉施設は僕には噂という人生を変えてしまうほどの深い痕跡を残した場所でもあったが、君との日々がきっと僕を輝かせてくれるに違いない。


たったひとつ輝くのは君と出会えたこと、ともに過ごせたこと。

あれからの季節。
君が君らしく生きていけたなら、僕との出会いも意味があったのだという気がする。
僕も強くなった。


優しさも限りを知らないほどになった。
生きている自分から生かされている自分へと成長した。

今僕が君と再会できるなら、再会までの月日よりも未来について語りたい。


今も僕の心のなかで、君は[あの日の君]のままだ。


[あの日の僕]は形を変えたかもしれないけれど、すべての記憶は手で触れることができるくらい鮮明に、今も僕のなかに息づいている。

伝えたい想いはもう多くの言葉を必要としない。
今も幸せに生きていてくれたなら、同じ空の下で笑って生きていけるだろう。

この胸に残る大切な恋を描きながら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?