「二隻の舟」~中島みゆき(1989年)
隻は「せき」以外に「そう」とも読むのか?
と思っていたら、こちらに解説があった。ぽこさんに感謝!!
とにもかくにも、Wikiによると「1989年から行っている舞台『夜会』のテーマソング」になっているとのこと。
だとするなら、歌詞の中の「わたし」は、みゆきさん本人、「おまえ」はみゆきさんの歌を愛するファンとして聴くとストンと落ちる。
「時は 全てを連れてゆくものらしい
なのに どうして 寂しさを置き忘れてゆくの
いくつになれば 人懐かしさを
うまく捨てられるようになるの」
上記は唄の作り手・歌い手としての心境で、大衆から「忘れ去られる」ことの寂しさ(不安)を、抱えている「スター」たちが、「愛されたい」欲求を捨てられないことを記しているような。だから、置き忘れられた「寂しさ」を感じない「愚かさ」がほしいとつづく。
「時流を泳ぐ海鳥たち」は、評論家や批評家、メディアなど「外野」を指す。自分たちで何のリスクを背負わず、創造された作品を味見する人たち。クリエーターがいつかオーディエンスとの絆をなくし、輝きを失っていくのを「おごれるものは久しからず…」などと訳知り顔でもの申す人たち。
この曲の後半は、瀬尾一美さんの圧倒的なピアノが、揺れる不安定な海面を表現している。
そんな中で、聞き手の声を糧に先の見えない、海原をこぎ出すみゆきさんの勇姿がオーバーラップする。
私は「糸」よりもこちらが好き。もろくて、はかなくて、それでいて途切れることがない絆をこの唄から感じる。
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