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「センチメンタルナイト」~柳ジョージ(1989)

 柳ジョージは昭和の日本の音楽界の中で、偉大なミュージシャンだと私は思っている。  伝説のバンド「ゴールデンカップス」にも加入し、その後1975年に、「柳ジョージ&レイニーウッド」を結成。1979年に発表された「雨に泣いてる…」がいきなり大ヒットして、注目されるようになった。  彼はデビュー前からミュージシャン仲間の間では、知られたロック&ロール・ブルースシンガー。飛ぶ鳥を落とす勢いだった萩原健一に見いだされて、萩原が主演したテレビドラマの主題歌として「雨に泣いてる…」が

    • 「想春賦」~アリス(1975)

       昨年10月に逝去された谷村新司さんと、「愛しき日々」で知られる堀内孝雄さん、矢沢透さんの3人が結成するバンド「アリス」。1970年代から80年代にかけて「冬の稲妻」「涙の誓い」「チャンピオン」「ジョニーの子守歌」等々のヒットを生み出した。  分類的にはフォークだったかもしれないが、彼らの中には欧米のロックやフォーク、カンツォーネ、シャンソン、タンゴ、そして演歌など多くの音楽を自分なりに取り込んで、独自の世界を切り開いてきた。  彼らのアルバムの特徴はアルバム全体としてのメ

      • 「微笑み」~ふきのとう(1981年)

         私の中のビートルズである「ふきのとう」。「好きな曲は?」と聞かれたら真っ先に上げるのは「微笑み」という曲だ。  この曲は、ふきのとうの8枚目のアルバム「D.S.ダルセーニョ」に収録されたが、シングルカットはされていない。  それにもかかわらず40年以上の月日を経て、今なおYoutube上で再生され続けていることが驚異ですらある。再生回数は2024年4月現在103万回。いまなお視聴回数が伸び続けているのが驚き。。。  Youtubeでのコメントを見ていると、大多数が同年代

        • 弥生つめたい風~NSP(1977年)

           NSPは、10枚目のシングルで、1977年発表。同年リリースされた6枚目のアルバム「明日によせて」にも収録されている。     「明日によせて」は同名のプロローグ曲で始まり、東北や東京の空気と風を思い起こさせるような楽曲で構成されている。卒業式のワンシーンを切り取った学生らしい「青春の後始末」は私のお気に入り。  「弥生つめたい風」は桜をモチーフに、一つの愛の終わりを描く。3/4拍子で始まり、さびから4/4拍子に変わってから、曲はテンポを上げ3番まで歌詞をつなぐ。  お

        「センチメンタルナイト」~柳ジョージ(1989)

          「二隻の舟」~中島みゆき(1989年)

           隻は「せき」以外に「そう」とも読むのか? と思っていたら、こちらに解説があった。ぽこさんに感謝!!  とにもかくにも、Wikiによると「1989年から行っている舞台『夜会』のテーマソング」になっているとのこと。  だとするなら、歌詞の中の「わたし」は、みゆきさん本人、「おまえ」はみゆきさんの歌を愛するファンとして聴くとストンと落ちる。 「時は 全てを連れてゆくものらしい  なのに どうして 寂しさを置き忘れてゆくの  いくつになれば 人懐かしさを  うまく捨てられるよ

          「二隻の舟」~中島みゆき(1989年)

          「後悔」~中島みゆき(2000年)

           朝5時から1時間のウォーキングを続けている。その間のBGMとして、所有している中島みゆきの音源をスマホに入れて聴いている。  当時は若くて無知だったが故に理解できなかった世界が、心に染みて心地よい。その中で「短編集」というアルバムに収録されている「後悔」という曲は泣かされる。足速に歩く初老の男が涙を流しているのが恥ずかしい。  最初から行きずりの人と分かっている男に恋い焦がれた女性が主人公。とうとうこのまちを去って行くことになり、女性が自分の思いを伝えなかったことへの「

          「後悔」~中島みゆき(2000年)

          「桜桃忌~おもいみだれて~」~永井龍雲(1981年)

           作家・太宰治の誕生日であり、入水自殺した彼の遺体が上がった日でもある6月19日を、彼を偲んで友人の今官一(こん・かんいち)が「桜桃忌(太宰忌)」と名付けた。  太宰が愛人とともに東京都内で入水自殺したのは1948年6月13日で享年38歳だった。  中学校時代に読んだ「人間失格」と高校時代で触れた坂口安吾の「堕落論」は、今なお私の中で傑作として記憶している。  だからラジオから「桜桃忌」という曲のタイトルを聴いた時に「暗い歌だろうな」と直感的に思った。その通りだった。

          「桜桃忌~おもいみだれて~」~永井龍雲(1981年)

          「やまねこ」~中島みゆき(1986年)

           中島みゆきは、聴く年代によって大きく印象が異なるアーティストだと思う。  デビュー当初から聴いているファンからすると「失恋女王」と思う人が多いと思うし(それ故にオールナイトニッポンとのギャップが楽しかったww)、「ファイト」「空と君のあいだに 」「ヘッドライト・テールライト」のような応援ソングで心弱き君に寄り添ってくれるジャンヌ・ダルクのようなイメージを持つ人もいると思う。「糸」に代表されるような2人の愛のつながりを歌い上げる曲が好きな人もいるだろう。  私は若い頃、ラ

          「やまねこ」~中島みゆき(1986年)

          「Pacific Coast Highway」~Nils(2006年)

           1960年代生まれの人の多くは、40~50歳代にワーカホリックだったと思う。「24時間働けますか」というCMもありましたよね。。。  2000年代に入ってITの波が急速に私の周りに押し寄せてると、「パソコンに詳しい人」がいいように使われた。当時は、日中、他人のフォローに追われ、自分の仕事を始めるのが18:00から。気がついたらオフィスに誰もいない、なんてことがよくあった。  土日出勤も当たり前で、3歳の子供を会社に連れて、遊び半分、書類の整理をさせたこともある。  それで

          「Pacific Coast Highway」~Nils(2006年)

          「白いページの中に」~柴田まゆみ(1978年)

           昭和のフォークソングを全国に広めたきっかけは「ヤマハポピュラーソングコンテスト」、通称「ポプコン」の力が大きい。詳細はこちらに譲るが、音楽をつくる側と聴く側のエネルギーが集約して、多くのアーティストや楽曲を世に送り出した。  歌謡曲という市場に乗らない音楽を広めるのに、ラジオが大きな役割を果たした。ポプコンで入賞したり有名になった曲を取り上げる「コッキーポップ」という番組があり、大石吾朗というMCの温かみのあるトーンが心地よかった。  「白いページの中に」はコッキーポッ

          「白いページの中に」~柴田まゆみ(1978年)

          愛のロジック―倫理―~NSP(1996年)

           昭和のフォークソングは、井上陽水や吉田拓郎らの時代を皮切りに、1970年代に入って、楽曲がメロディアスなものがヒットチャートに上がるようになっていった。以前「クリスマスの約束」で斉藤哲夫が小田和正と話していたが、欧米の音楽だったR&Bやポップス、カントリーのメロディーに日本語を乗せるというのは大変な苦労だったらしい。  1980年代にはフォークソングから「ニューミュージック」というジャンルが登場して、きれいなメロディやハーモニーを追求していく流れができていた。  だが、

          愛のロジック―倫理―~NSP(1996年)

          ByeBye青春~くぎ哲朗(1978年)

           高校2年の夏休みに、私は札幌へ2週間滞在した。夏期講習というのは表向きで、大都市の空気を感じたかった。夜行列車で札幌に早朝到着し、駅を出た景色は今でも覚えている。真夏の札幌はキラキラしているように感じた。  国鉄札幌駅から地下鉄南北線の駅までの地下通路沿いには、商店街(現在のパセオ)があって、土産物を買い求める人でごった返していた。通路に近い商店の店先で、カセットテープレコーダーから終日流れていたのが「ByeBye青春」だった。  通りすがりに耳にする程度だったが、朝か

          ByeBye青春~くぎ哲朗(1978年)

          「言葉にできない」~オフコース(1982年)

           小田和正と鈴木康博を中心とする第1次オフコースの全盛期に発表されたアルバム「Over」に収録され、その後は小田さんもセルフカバーしているほかCM曲にも採用された名曲・「言葉にできない」。  このアルバムの前年には「We are」というアルバムが世に出て、オフコースの地位を確固たるものにした。  当時、全国ツアーに向けて各ラジオ局の音楽番組に出演していたオフコースのメンバーに、「We are」というネーミングの由来に関する質問が多く寄せられ、小田さんが「We areの後に続

          「言葉にできない」~オフコース(1982年)

          「初恋」~ふきのとう(1978年)

           「初恋の人」の定義は、人によって幅があるようだ。  「初めて恋心を抱いた人」と解釈すれば、早い人なら幼稚園から小中学校にかけて、という人が多いだろう。  「好きな人に告白して、玉砕した」「告白して両思いになり、初めて付き合った人」と考えるなら、中学・高校、大学という人も多いだろう。  最近は(というより私が知らなかっただけか?)、「両片思い」という言葉もあるそうだ。お互いに相手を意識して恋心を抱きながら、告白しないまま終わってしまったというケースらしい。  「初恋」とい

          「初恋」~ふきのとう(1978年)

          「風の坂道」~小田和正(1993年)

           北海道で生まれて北海道で育ち、道外の大学に行くことが叶わずに北海道内で学び、そして北海道で働いている。1960年代生まれの人間はバブルを辛うじて知る世代で、北海道でもバブル景気は(東京に比べると微々たるものだが)確かにあり、私たち世代以前の男は、車を持っていることが、ほぼ必須だった。女の子をナンパするための必需品だったし、休みに遠出をするために、多くの男の子たちが無理をして車を買っていた。    その少し前から「歩きながら音楽を聴く」ために、若者の間で「ウォークマン」とい

          「風の坂道」~小田和正(1993年)