「センチメンタルナイト」~柳ジョージ(1989)

 柳ジョージは昭和の日本の音楽界の中で、偉大なミュージシャンだと私は思っている。

 伝説のバンド「ゴールデンカップス」にも加入し、その後1975年に、「柳ジョージ&レイニーウッド」を結成。1979年に発表された「雨に泣いてる…」がいきなり大ヒットして、注目されるようになった。

 彼はデビュー前からミュージシャン仲間の間では、知られたロック&ロール・ブルースシンガー。飛ぶ鳥を落とす勢いだった萩原健一に見いだされて、萩原が主演したテレビドラマの主題歌として「雨に泣いてる…」が選ばれ世に出た。

 当時の日本のロック界には、「日本語で歌う派」と「英語で歌う派」に別れていたらしい。玄人受けしていたジョージさんは英語派。初期のLPの中には、A面が全てオリジナルの英語曲というものもある。

 私が初めて柳ジョージを知ったのは小学校5年の時、近所に大学があって、毎年秋になると大学祭が行われていた。催しの中にライブハウスがあり、市内の高等専門学校生バンドが出演していて、その中の演目として「雨に泣いてる…」を演奏していた。

 曲そのものはシンプルだが、曲全体の雰囲気、特にコーラスが他のミュージシャンとは明らかに違って聞こえた。「ブルースコード」を知るのはそれから6年経ってからだった。

 「柳ジョージ&レイニーウッド」は、その後もヒットを生みながら活動を続けたが、売れっ子になるとジョージさんが引っ張りだこになるようになってグループとしての活動がギクシャクし始め、1981年の武道館ライブを最後に解散。柳はソロで、レイニーウッドは名称を「The Wood」に変えてバンドを続けた。

 ソロになってからのジョージさんは、精力的に活動を続ける。当時よく流れていた宝石店CMなどで使われたり、NHKが週末の深夜枠で放送したオールディーズ特集では、頻繁にフランク・シナトラやポール・アンカなどの曲を歌い上げる姿が映った。

 NHKのFM放送では、当時数少なかったロックシンガー枠で、ジョージさんが自分の好きな曲を紹介していたこともある。その時に彼が話したことは興味深かった。
 「自分は声の質や音楽から、よく〝和製エリック・クラプトン〟などと言われる。それは光栄なことではあるが、自分は小さい頃からFENなどを通じて、アメリカのヒットチャートやR&Bに親しんでいた。中でも自分が大好きだったのはマービン・ゲイ」。
 その頃からジョージさんはテレビや音楽イベントで「レイラ」や「コケイン」などを演奏していたが、後になって「求められるのなら、しっかりした仕事をしたい」という彼の職人気質によるものだということが分かり、私はジョージさんのことがより好きになった。

 表題の「センチメンタルナイト」は、1989年に発表したソロとして4枚目のアルバム「For Your Love」に収録されている。曲調や詩の内容は歌謡曲ぽいが、ジョージさんの声と、ウエットなトーンを演出するシンセ、ギターが重なって、心に傷を持つ2人のメローなラブソングに仕上がっている。

 もう一つ特筆したいのはバックコーラスにいる山根麻衣さんだ。彼女は声がパワフル。1982年発表のアルバム「Will」の1曲目・「 蜃気楼へ…/ In Mirage」に度肝を抜かれた。その後FM放送で偶然、彼女のライブが流れた。最後に演奏したのが「蜃気楼へ…」。ジャニズ・ジョップリンとグラディス・ナイトを足したかのような野太い声とファンキーな感じは、私の中に強烈な印象を残した。

 山根さんは一時期、ジョージさんに心酔していたと思う。ジョージさんのツアーバンドにも参画し、ジョージさんのブルースバラード「リトル・チャイルド」を自らもシングルカットしている。

 「センチメンタルナイト」で、2人の声が絡み合う様は、(あくまでも個人的には)少しエロティックな雰囲気を感じるほど。ただ、これ以降、2人のからみはレコードやCD、ビデオ、DVDなどで確認されていない。

 ジョージさんは2011年10月10日に逝去、享年63歳。実は亡くなる数年前に「柳ジョージ&レイニーウッド」を復活させて、全国ツアーを実施している。私もとある地方公演に参集したが、その頃には往年の力は無く少し寂しく感じた。

 私は彼の音楽に触れて、彼の著書を読み、そこから洋楽の道に進んだ。バブル時代到来を前にテレビやラジオからは最新のポップスやロックが大量に流れていたが、それも少しずつ聴きながら、1950~1960年代の音楽を聴いているうちに、マービン・ゲイからモータウンにもハマった。ジョージさんはは私のアイドルというだけでなく、メンターでもある。

 ところが、私は当時の柳ジョージファンとそりが合わなかった。

 私は矢沢永吉やプレスリーなど当時のリーゼント・革ジャン族の音楽は面白いと思って聴いていたが、それらを愛する人たちは私の好きな音楽をことごとく否定した。「いもくさ…」「くらい…」「おんなみたい…」。

 それはいい。個人の嗜好の違いだ。

 そういっていた人間が20年ほど前から「この間、小田さんのコンサートに行ってきたら感動して泣けた…」「先月、娘とJUJUのライブに行って号泣した」などとほざくようになった。

 しかも、それを聴いた私が「おまえら…、おれが昔、好きだと言ったときにコケにしやがって…」と怒りを表明すると「うざっ…」「きもっ…」と令和の言葉で相変わらずのように蔑むのだ。

 SNSでは今でもたまに、ジョージさんを取り上げてくれる人たちがいる。その中に「和製クラプトン…」「竹原ピストルに似ている」という印象を持っておられる方々も一定数いらっしゃる。私は自分の友人のように、それらの言葉を否定はしない。ただし共感もしない。「GOOD TIMES」というアルバムを聴けば、彼の世界観が分かってもらえると思っている。

※Amazonのリンクは収録曲のリストがある「コンプリート版」のリンクを貼っていますが、当時の「GOOD TIMES」は1984年に2枚組LPで発売。その後1985年に「GOOD TIMES Part 2」、1989年に「GOOD TIMES Part 3」がリリースされています。中古市場で買い求める場合、3つの作品を別々に購入すると、コストを大幅に下げることができます。

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