近況報告
ようやく時間と気力ができたので近況を書く。
前回の記事は9月。本当にいろいろなことがあった。
全体を通してもっとも比重が大きかったのは卒業制作。総合してじつに1年間をかけた。
ここにアップロードしていた音楽と、詩とイラストを、CDとそのブックレットというかたちでひとつの作品集にした。
私の全霊を注いで作ったと自信をもっていえるし、周囲からの評価も好感触であった。
これからも何かしら作っていくつもりだ。ボーカロイドとか多分始める。と思う。
詳細は伏せるが、高校の2年生まで続けていたスポーツのインストラクターとして地元で働くことになった。
しかし美術大学に進学して就職先がスポーツインストラクターということに祖母と父親は納得がいっていない。「大きな会社」「まともな会社」に就きなさいと助言してくる。
「まともな会社」とは何だろうか、とも思うけれど私を心配しての発言であるうえこの場で何を言おうと意味はないのでここまでにしておく。と書いておけばあたかも私がオトナのようにうつる。実際のところ就職活動にすら耐えられなかったプー太郎が過去の栄光に縋って食い扶持をみつけただけだ。
実は私はそのスポーツで全国準優勝の結果をもっている。引退した現在でも8割ほどその技術を維持している。別の視点でいえば、当時の私の努力が数字をもった結果として証明され、技術者・教育者としての資格を満たしているとみなされた。と言うこともできるのだ。
結局は見方の問題でしかない。くだらない諍いだ。
それに連なって、家族愛というものがよくわからなくなった。
私の家族はみな一線を引いて人と接する性質がある。私も含めてだ。
本当に家族に期待すること、話し合うべきことをなあなあの状態で先送りにしてしまう。これは家族に限った話ではなく人間が人間と関わるうえで常に立ちはだかる問題なのだろうけれど。
何にせよこの性質の問題は我慢がつきまとうことだ。こういう種類の我慢は人間関係において本当に悪さをする。私も何度かそれで諍いを起こした。
幸運にも大学では友人に恵まれて、本心で会話ができる人たちができた。
そうして家族と話してみると、大学入学以前の自分がいかに本心を包み隠して生きてきたのかという事実を目の当たりにすると同時に、家族が私をまだ大学入学以前の私として接してくるギャップを感じるのだ。
今の私として接し続ければいずれそのギャップはなくなるのだろうけれど、就職先やそれにまつわる金銭の話によっていまいちコミュニケーションにならない。美術のもつ悪癖としての選民的な思想も邪魔をして、家族にある種の絶望めいた感情をもつようになってしまったというわけだ。
文章を書くことは続けようと思う。というか、文章で金を稼がなければならないと思っている。
それには知識も経験もまったく足りない。のでひたすらに読んでひたすらに書いてということをこのnoteでやろうと思う。
それにあたって生み出す文章を日記ではなく何かコンテンツにしなければならない。
しかし私の性格上、真面目に売り込もうと文章を書いても絶対につまらないものを書くし続かないだろう。
しばらくは読んだものや観たものについて考えたことを書いていこうと思う。
なんとなくシリアスになってしまったが心のどこかでなんとかなると思ってしまっている楽天的な自分がいる。こいつのせいで私はストイックに努力ができない。
とりあえずの方針だけれど、まあ気楽に書いていく。
今書きたいのはガガガ文庫から田中ロミオの『人類は衰退しました』。
時間があればすぐに書く。なければ3月中には書く。
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