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最近の記事

近況報告

 ようやく時間と気力ができたので近況を書く。  前回の記事は9月。本当にいろいろなことがあった。  全体を通してもっとも比重が大きかったのは卒業制作。総合してじつに1年間をかけた。  ここにアップロードしていた音楽と、詩とイラストを、CDとそのブックレットというかたちでひとつの作品集にした。  私の全霊を注いで作ったと自信をもっていえるし、周囲からの評価も好感触であった。  これからも何かしら作っていくつもりだ。ボーカロイドとか多分始める。と思う。  詳細は伏せるが、高校の

    • 9月

       人と話すのは難しいことだとつくづく思う。  単位が足りないので体育をとっているのだけれど、初対面のグループとなると顕著に会話ができなくなる。  学校の、まして美術大学の体育なんて遊びだ。部活でも競技でもない。レクリエーションである。また授業プログラムに他者とのコミュニケーションの項目も含まれている。  つまり求められているのは技術の向上や精神の成長などではなく、楽しく身体を動かすことなのだ。  どうせ半年間同じ授業を受けるのだから仲良くしておいた方が気分がいい。  そう思っ

      • メモ:「結局は自信」

         人と話したり外へ出かけたりすると不思議なことに、あるいは当然のことのように活力が湧く。  ひとくちに活力が湧くといってもそれは「エネルギーを得る」という意味合いに過ぎず、つまりそこには負のエネルギーも内包されているのだけれど、そのせいで私は「コミュニケーションでエネルギーが得られる」という当然の事実を受け入れることにとてつもなく長い時間を要した。  高校時代までは実家で暮らしていたので家族とのコミュニケーションが絶えなかったことと、「エネルギーを得る」ということがてっき

        • 呪い

           近頃はものすごく休んでいる。  大学は夏季休業、アルバイト先には就職活動があるのでと数ヶ月のお休みをいただいて、就職活動もほどほどに。あとはゲームをして気ままにギターを弾いて歌っている。つまり堕落しまくっている。のだろう。  もっと真面目に就職活動をしなければ、知識をつけなければ、本を読まなければ、ものを作らなければと焦らないでもないが、思えばこの義務感と焦燥感を混ぜ合わせたような感情は大学に入学して以来持ち合わせて、今まで付き纏っているものだ。  高校生までの私は「や

        近況報告

          話すということ

          本を読むということ、最近のこと  本を読みすぎると頭が煮えた感覚になる。  集中力が途切れるまで本を読んでみると、そのうち文字を眼球が追うだけになる。文章に映像や音やにおいが伴わず、単なる状況説明として読んでしまうのだ。  なんならその状況説明すら頭には入ってこない。いわば時間の無駄である。疲れているときにぼーっとYouTubeをみている感覚に近い。  このときだ。このときに本から目を背けて窓の外の景色なんかをみると頭が煮え立つ感覚と世界の多彩さ明瞭さが一挙に襲ってくる。

          話すということ

          あやふやメモリー

           なんだか最近は時間の流れが遅い。 というのは一日々々に起こる(出会うといった方がよいかもしれない)ことがらが春休みよりずいぶん多く、noteの更新日やInstagramのストーリーの履歴をみると「まだあの時からこれだけしか経っていないのか」と驚くのだ。  友人間にも共通の感覚があるみたいで、濃い一日があると「今日最終回じゃん!」と一同で笑う。それを毎週のようにやっている。  萩原朔太郎の詩集を読んでいる。『月に吠える』である。  一息に九割読んだのだけれどそこからは重苦し

          あやふやメモリー

          Hatoba 雑記

          新しく曲を作った。 『Hatoba』という。 最近は繰り返しという言葉について考えている。 というよりは、螺旋という概念。 朝起きて夜に眠る、気分が上がる落ちる、人が出会い別れる、空が晴れる曇る、花が咲いて散る、太陽が昇る月が昇る、波が寄せて返す。 すべてのものごとはどこかで繋がっていて、この世界はゆっくりと回るゆりかごのような……。 ここまで書いて、これは雑記としてではなく詩として書くべきだと思った。 さて、作っている最中、音楽の制作に環境音を使うというのはある種の

          Hatoba 雑記

          Hatoba

          また一曲作った。 『Hatoba』という。 寄せては返す波をみていた。 海が鳴る。海が寄せてくる。水位が上がる。コンクリートにぶつかる。大地が呻く。白い輪郭ができる。飛沫が上がる。海が鳴る。かさが減る。輪郭はぼやけて、失われる。静かになる。また海が鳴る。 その繰り返し。ただの繰り返し。 私は螺旋の途方もなさに委縮し、立ち止まった。 立ち止まったとて、海は鳴るというのに。 空には入道雲のなり損ないがぽつんと浮かんでいて、そのほかは素材をインターネットから拾って貼り付けたよう

          階段がある

          改札を出ると階段がある。 階段を上るとまた階段がある。その階段を上って左に曲がってさらに階段を上る。 すれ違う人の肩がぶつかった。 背広を着た中年の男か、目深く帽子を被った若い女だったか、もう忘れてしまった。 それは私をいやにみつめて、そのまま歩みを進めた。 早く地上に出なければ、と直感する。 半ば強迫観念であった。私は息が上がることも厭わずに足を早めた。 (早く地上に出なければ、どうなるというのだろう?) 急ぎ足で階段を上って見渡した景色は、果たしてどこまで

          階段がある

          pendulum

          友人が新曲について書いているのをみて書かねばと筆をとった。 実はふたつ新曲を作った。 ひとつめは『ソドレソ』。 3月くらいに作っていたフレーズに音を足して出した。 正直過程はほぼ覚えていない。 音をつけながらこれは違う、これは違う、これかしらん、を繰り返して練ったイメージだ。 というか全曲そういう作り方をしている。 音楽理論なんかもあまりわかっていないので勘に頼っている。 体良くいえば自動手記的というか、思考から逸脱した脳の領域で作っている感覚がある。 タイトルは後ろで「

          pendulum

          mor

          またひとつ曲を作った。 タイトルは『mor』である。 雪の日の朝を思いながら描いた。 冷たく空気が澄んでいる。 空は底が抜けたように蒼く高い。 陽の光に照らされた雪が眩しくて、私は目を眇めた。 革のブーツがぎしぎしと鳴る。耳が冷たい。またひとつ白い息を吐いた。 ふと、幼い頃におぼえたあの高揚感はどこにいったのだろうと振り返った。 きた道には私の足跡だけが青く刻まれている。 ふたたび歩きだして、どこかで雪原に微笑む自らに気づいた。 以下余談。プロセスとかを書く。

          aquarium

          曲を作った。処女作である。 題名は『aquarium』にした。 眠るような、祈るような音楽が好きだった。 幼い頃歯医者の待合室で聴いたような。 水族館でぼうと魚をみていたときを思い返した。 ふぐ、さめ、くらげ……私とは姿かたちのまったく違う彼らが眼前で泳ぐ。 ゆらゆらとただよう魚は、死んでいるようにもみえる。 程遠い私たちのあいだに、つながるなにかがある。 ここは暗い。けれど煌びやかだ。 ここは暖かい。けれどどこか冷たい。 ここは静かだ。けれど確かにいのちが、うみが、

          aquarium

          水を買って飲む

          今日、初めてクラブなるものに行った。 友人が絵を展示していて、それを見るためであった。 おもしろかった。繰り返しながら少しずつ変容するフレーズにたびたびアクセントが入る。鼓動が激しくなればみなが一様に揺れ動き、鎮まればみなが一様に話しだす。 音楽は空間を支配し、その波動に誰もが身を任す。 海をみている気分であった。よせてはかえす波のような。 そういえばいわゆる「ハコ」の右側には海中とおぼしき写真があった。少なからず影響を受けているのだろうか。 最近はようやく曲の制作が

          水を買って飲む

          土産話

          音楽を作ろうと試行錯誤している。 メロディーラインを作ってみて、簡単なコードを打ち込んでみて、ひとまずそれで置いてまた違うメロディーラインを作って、前のと似ちゃったじゃんって消して、そういう繰り返しだ。 音作りに関してはまったく手をつけていない。 そのうち始めなければ一生やらないままになってしまう! ここ数日は福岡にいた。旅行である。 日常を忘れて楽しんだ。 いろんな人の顔を浮かべながらお土産を選ぶ時間が幸せだった。 水族館に行った。 海棲生物は不思議だ。 いつまでもみ

          土産話

          花のよう

          朝の街は死んでいるようだと思う。 白く照らされて、静かで、規則的に家々が並んでいて、空の広いあの感じは、どこか墓地に似ている。 それが綺麗だと思う。 昨日、友人に告白をした。 一年前の冬にも告白をした人で、そのときはお断りの返事をいただいた。 そこからあれこれ考えて、やはりまだ彼女が愛らしく思えるのでまだあなたが好きだとだけ伝えた。 結果はやはりお断りであった。それでも友人でいるぶんにはよいというので、変わらず友人として付き合っていくことになった。 それはそれですわりのよい

          花のよう

          随筆

          地元に帰ってすぐ、父が新型コロナウイルスに感染した。 父は自室をもっておらず、リビングに隣接した和室で過ごしているので私は妹の部屋に隔離、妹は彼氏の家にしばらく泊まることとなった。 私の部屋は私が地元を出てすぐになくなっていた。今は母の物置になっている。 私もウイルスに感染しているものかと思っていたが検査を受けると陰性で、すんなり外出の許可が出た。 しかしもとより友人はめっぽう少なく、既にほとんど顔を合わせていたのでやることもなかった。 東京の自室が恋しい。パソコンで