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水を買って飲む

今日、初めてクラブなるものに行った。
友人が絵を展示していて、それを見るためであった。

おもしろかった。繰り返しながら少しずつ変容するフレーズにたびたびアクセントが入る。鼓動が激しくなればみなが一様に揺れ動き、鎮まればみなが一様に話しだす。

音楽は空間を支配し、その波動に誰もが身を任す。

海をみている気分であった。よせてはかえす波のような。
そういえばいわゆる「ハコ」の右側には海中とおぼしき写真があった。少なからず影響を受けているのだろうか。


最近はようやく曲の制作が進んできた。
友人が鼻歌を送ってくれたので、そこに伴奏やら歌詞やらをつけてみて、レスポンスをもらう。共作である。

思うようにいかないことばかりである。その四苦八苦を楽しんでいる自分もいる。なんとか人に聴かせられる! と自分が思えるまでは頑張ってみたい。


数年前からなんとなく感じていたことなのだけれど、私には情熱が足りないなと思う。
爆発力というべきだろうか、根性というべきだろうか、とにかくそういう手をつけて完成にもっていってという勢いが私にはない。

こんなことを書いてみてもじゃあやるしかないよねに終始するだけなのだ。やるしかない。うん。



友人が書いている小説を読ませてもらった。
夢の中のような文章。とても映像的で魅力があった。
一言一句は異なるが、そこに「蛇口をひねれば出てくる水を、わざわざ買って飲むようになったのはいつからだろう」とあった。

幼少のおおらかさとゆえの自由、そこから離れていても、しかし引き剥がせないやるせなさ。

やるせなさというべきだろうか。言葉に押し込めない方がよい感覚的なものだとおもう。

奥行きのある一文であった。脳裏に刻まれた。


やっぱり音楽ってすごい。
言葉もすごい。歌詞を書いていてどちらも強く実感する。
楽しそうな人たちが見れてよかった。
瓶のコーラがおいしかった。



「どう言えばいいんだろうか 
 剥がれた壁のペンキなんだ
 何度も塗り直した」
「想い出? それを言いたかったのね」

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