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呪い

 近頃はものすごく休んでいる。
 大学は夏季休業、アルバイト先には就職活動があるのでと数ヶ月のお休みをいただいて、就職活動もほどほどに。あとはゲームをして気ままにギターを弾いて歌っている。つまり堕落しまくっている。のだろう。

 もっと真面目に就職活動をしなければ、知識をつけなければ、本を読まなければ、ものを作らなければと焦らないでもないが、思えばこの義務感と焦燥感を混ぜ合わせたような感情は大学に入学して以来持ち合わせて、今まで付き纏っているものだ。

 高校生までの私は「やるべきことをやったらあとは遊ぶ」のスタンスであった。というより親の教えがそうであった。「やるべきことさえやっていればあとは何をしていてもいいよ」と。
 幼少から自閉的だったので、絵を描いてパズルを解いてゲームばかりしていた。今もそう変わらない。

 大学に入学してからものを作る人たちをみて、彼らの言葉に触れて、なんだか実利主義というべきか、とにかく知識をつけて価値のあるものを作ってそれを他者と(社会と)擦り合わせてまたより良いものを作らなければという義務感に駆られるようになった。
 それと同時に、自身の閉じたものづくりによく疑問をもたれた。「もっと外に出せば良いのに」と。「そうすればより良いものができる」「見せなければ作った意味はあるのか」と。

 真っ当な意見である。より多くのより良いモノを生み出せば社会はより豊かになる。正誤は確かめられずともほとんどの人はそう信じている。
 実際私もその言葉に大いに振り回された。
 「私のものづくりに価値はあるのか」「私には知識がない」「私にはより多くのものを作るだけの情熱がない」そういうことばかり考えていた。
 かといって心機一転、毎日のように本を読みものを作るというようなことにはならなかった。気づけばその矛盾にすり減っていた。

 生活は水面下で荒んでいた。三食きちんと摂り、充分に眠り、毎日出かけていようが生活は、ひいては精神は荒むものである。
 実家に帰省してそれに気がついた。
 一週間ほど、何もせず過ごした。
 好きな本を読み、妹の電子ピアノを弾いて、猫と遊んで、人の作る美味しい料理を食べ、好きなだけ眠った。
 東京に帰ってきて驚いた。以前は通行人が憎らしくて仕方がなく、満員電車など全身の皮膚下に虫が這い回るほどの痒みと不快感で気が狂いそうだったのだけれど、それがすっかりなくなっていた。
 人と話すときも、どこかで自分と相手方を違う生物と捉えて、一線を引き、常々警戒していたのが必要ないことだとすんなり受け入れられた。
 気がつかないうちにとてつもない神経質になっていたらしい。本当に気づいていなかった。今までの自分と地続きで、何も変わっていないと信じていた。
 多分、狂ってしまった人が自分の狂っていることに気づけないというのは真実なのだろう。

 同時に以前の自分はもっと優しかったよなあ、とも思い出した。
 優しさは弱さと近く、弱さを切り捨てた先に本当の優しさがあると考えていたけれど、今は優しさの果てに強さがあるのだと思う。

 そうして自分がものを作る意味を考えた。
 私は社会のためでも人のためでもなく、自分自身のためだけにものを作る。
 評価も金銭もいらない。満足できればそれでいい。ものを作らずとも満足できるのであれば作る必要もない。そういう結論に至った。
 そのスタンスはいついかなるときも変わらずあった。知識をつけるのも作るのも、私が欲しいときだけでよいと心底では無意識であれ思っていたのだろう。

 いわゆる社会とか、他者とか、私にはそれがあまりに巨大で曖昧模糊とした存在に思える。
 社会なんて目に見えないし、大切な人はもはや他者ではなく自らの一部だし、ともすればそんな形のないいわば蜃気楼のような彼らに何をすればよいのだろう?

 しかし実際にその蜃気楼の活躍で生活が成り立っているのも事実だ。水道もガスも、流通も私の知らない誰かが肩代わりしてくれている。
 そこに寄与すべきと思わないでもないが、かといってそれほどの情熱はもてない。いやらしいことこの上ない発言だが、私にとって蛇口をひねれば水が出るというのは当たり前のことなのだ。

 ふと作ろうと思たとき、あるいは作らずにはいられないとき、ごく自然発生的に作るものこそ本当の美しさをもっているのではないかとも思う。
 だからこそ私は焦ってものを作ることはしたくない。毎日を一日ずつ生きるなかで、時折生まれるくらいでよい。
 それが面倒くさがりの言い訳だとも思いながら。

 一度に書いたので飛躍した文章になってしまった。読んでくれてありがとう。

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